pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

龍と詩人 宮澤賢治

.

     龍と詩人        宮澤賢治




抜粋


 スールダッタよ、あのうたこそはわたしのうたでひとしくおまへのうたである。いったいわたしはこの洞に居てうたったのであるか考へたのであるか。おまへはこの洞の上にゐてそれを聞いたのであるか考へたのであるか。おおスールダッタ。

 そのときわたしは雲であり風であった。そしておまへも雲であり風であった。

 詩人アルタがもしそのときに冥想すれば恐らく同じいうたをうたったであらう。けれどもスールダッタよ。
 アルタの語とおまへの語はひとしくなく、おまへの語とわたしの語はひとしくない、韻も恐らくさうである。この故にこそあの歌こそはおまへのうたでまたわれわれの雲と風とを御する分のその精神のうたである。)

(おお龍よ。そんならわたしは許されたのか。)

(誰が許して誰が許されるのであらう。われらがひとしく風でまた雲で水であるといふのに。スールダッタよ。もしわたくしが外に出ることができ、おまへが恐れぬならばわたしはおまへを抱きまた撫したいのであるが、いまはそれができないので、わたしはわたしの小さな贈物をだけしよう。ここに手をのばせ。)龍は一つの小さな赤い珠を吐いた。そのなかで幾億の火を燃した。

(その珠は埋もれた諸經をたづねに海にはいるとき捧げるのである。)

 スールダッタはひざまづいてそれを受けて龍に云った。
(おお龍よ、それをどんなにわたしは久しくねがってゐたか、わたしは何と謝していいかを知らぬ。力ある龍よ。なに故窟を出でぬのであるか。)

(スールダッタよ。わたしは千年の昔はじめて風と雲とを得たとき己の力を試みるために人々の不幸を來したために龍王の(數字分空白)から十萬年この窟に封ぜられて陸と水との境を見張らせられたのだ。わたしは日々ここに居て罪を悔い王に謝する。)

(おお龍よ。わたしはわたしの母に侍し、母が首尾よく天に生れたならば、すぐ海に入って大經を探らうと思ふ。おまへはその日までこの窟に待つであらうか。)

(おお、人の千年は龍にはわづかに十日に過ぎぬ。)

(さらばその日まで龍よ珠を藏せ。わたしは來れる日ごとにここに來てそらを見、水を見、雲をながめ、新らしい世界の造營の方針をおまへと語り合はうと思ふ。)

(おお、老いたる龍の何たる悦びであらう。)

(さらばよ。)
(さらば。) 


短い作品です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/4865_14855.html
          <見やすいように改行した>
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



おそらく、賢治は童話として書いたのだろう。それは他の童話同様に詩となった。

天性の詩人。

人々の不幸を來した咎により、懺悔するために十万年洞穴に暮らす龍のチャーナタ。ある日、チャーナタの歌を盗んだと疑いをかけられたスールダッタがチャーナタを訪れて詫びようとする。それが引用の場面に続くのである。

ここに、おそらく賢治の歌に対する詩に対する考えが示されている。それが抜粋した文章の上半分である。
後半は賢治の人間界への洞察が示されている。

この作品が賢治の何歳の時の作品であるかわからない。しかし、賢治が龍に仮託して人間界の幸福を10万年後としたのはわかる。賢治の時代も悲惨だった。さらに私たちの現代は悲惨である。しかし賢治は絶望しなかったのだ。それは、彼の精神が

「そのときわたしは雲であり風であった。そしておまへも雲であり風であった。」からだ。



おもうに「歌」とは、そのようなものだろう。
だからこそ「歌」を欠く人生など想像できない。

 

 

www.youtube.com