pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

書は言を盡さず,言は意を盡さず





周易繋辭上傳に有り

書は言を盡さず,言は意を盡さずと。

書物は言葉を十全に満たすものではなく
言葉もまた意を十全に満たすものではないと


むかし

霧に包まれた林の中でカッコウの声を聴いた詩人がいた。
詩人はそのカッコウの声に深い孤独を理解した。
しかし
その深さはどれほどのものかは分からない。

        「かっこう」

  しぐれた林の奥で
  かっこうがなく。

 うすやみのむかうで
 こだまがこたへる。
     
         (中略)

 いまはもう、さがしようもない。
 はてからはてへ
 みつみつとこめる霧。
 とりかへせない淋しさだけが
 非常なはやさで流されてゐる。

 霧の大海のあっち、こっちで、
 よびかはす心と心のやうに、
 かっこうがないてゐる。
 かっこうがないてゐる。・・・・・        
                            (光晴)

 

深い
ただそう理解するのみだ。
深さは相対的だが個人においては絶対値を取る。

辻まことはこの詩を読んで驚嘆し「この最初の三行だけで、私は、人間の孤独と、孤独な人間の世界が、明確 に表現されていることに驚嘆する。」と書いた。

とすれば、
辻まことの感じ取ったその深さに触れながら
また自分の感じた深さを測るほかはない。

言は意を盡さずという。
ならば
その意を汲むに意を以て当たるほかはない。
言葉の
深い奥に沈んだ真澄の意を

しぐれた林の奥に響き渡るかっこうの声を
自分もしずかに
この時雨れた晩夏の夜に聞かねばならない。

意は言葉に表れ、言葉によって書は生まれる。

詩は言葉に有り余る意を与える。

よって書物は心の大海のごとくである。

私たちはその大海に浮かぶ笹舟のようなものである。




補足
辻まこと 「かっこう」
http://kotomi.fan-site.net/yomu/kannsou1.htm


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