pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

放蕩息子の帰宅



我が家の放蕩息子が帰ってきた。
ハチである。

2週間ぶりにさまよったであろうその姿は痩せ衰え目には不安や怖れを湛えていた。

新約聖書、「ルカによる福音書」に登場する放蕩息子は親に分け与えられた財産を蕩尽して無様に帰宅したわけであるが、父親に歓迎されたのである。

ましてやそのバカ息子以上にお目出度いハチが帰宅したのであるから我が家は誰一人ハチを冷遇することなく、喜んで迎え入れた。他の3匹の猫、とりわけ、親友となっていたモンも喜んだ。

2週間目の夜、外で猫の鳴き声がした。

「あれ?もしかしてハチ?」
玄関を開けると既に居ない。
上で声がする。
既に屋根に上がって息子の部屋の窓辺で鳴いていたのだった。
私が出るのが遅かったわけではないが、玄関を開けるまで待ちきれず、2階の息子の部屋の前まで駆け上がったわけだ。
息子が窓からハチを抱き上げて入れた。

それからは1周間ほどハチの甘えん坊ぶりが出た。
子供がえりか、家に入るのは食事の時くらいで外遊びばかりだったハチは、家の中で過ごす時間が殆どになった。
背中に2箇所小さな傷がある。
放浪と飢えの中でノラかカラスかと喧嘩でもしていたのであろう。
自ら飛び上がって膝の上で眠ることなど無かったハチだが、安心して抱かれて眠る。

実は家族はハチの帰還を半ばあきらめていたが、ひと月後に帰還した話をネットで見つけて期待する風でもあった。

いま、外でモンと連れ合い散歩しじゃれあって過ごしている。

ハチが我が家に来たのはまだ生後4ヶ月ほどの頃だった。
フクシマは浪江の被災地で助けだされて、そのボランティアの方から譲り受けたのだったが、我が家に来て2ヶ月過ぎた頃に一度迷子になった。その時は2日間だった。

また繰り返すだろうが、この団地は山の上にあり、クルマの通行は主線以外は少ない。また、ペットの虐待などの話はない。
事故に合わぬ限りそれほどの危険はない地域だ。

ご近所の旦那さんが愛猫にリードを付けて散歩している。
訳を聞くと、ノラと喧嘩するのが心配なのだそうだ。
その猫はモンと似た猫で、モンもその旦那さんの散歩の頃には門の前辺りで待っている風でもある。

モンは根っからの甘ったれなので、ハチのようになる心配はない。





写真 息子に抱かれるハチと伸びきったハチ