pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

高麗郡建郡1300年祭

「(一社)高麗1300」より抜粋
http://komagun.jp/

霊亀2年(716年)、武蔵国高麗郡(こまぐん)が置かれました。高麗とは、かつて朝鮮半島中北部から中国東北部を領有した高句麗(こうくり)を指します。
高句麗滅亡前後、多くの高句麗人が日本に移り住みました。
『続 日本紀(しょくにほんぎ)』によれば、高麗郡建郡当初、東国7ヶ国に住む高麗人1799人が武蔵国に移住したとあります。高麗郡は初め、現在の日高市と飯 能市あたりにおかれましたが、高麗郡が廃止された1896年(明治29年)には、鶴ヶ島市を始め、川越市狭山市入間市の一部を含む広域にわたっていま した。

日高市HP」より

高麗郡建郡1300年とは
http://www.city.hidaka.lg.jp/resources/content/300..
歴史マップ
http://www.city.hidaka.lg.jp/resources/content/300..
早わかり高麗郡入門Q&A
http://www.city.hidaka.lg.jp/resources/content/300..

高麗神社」HP高麗郡建郡1300年記念事業
http://www.komajinja.or.jp/1300year.html


当地と、いや、日本という島国と朝鮮半島の関わりの深さは論をまたない。
その歴史・文化・人の交流によって今の日本があることは自明であるが、来年高麗郡建郡1300年の大きな節目を迎える。昨年からそのイベントが徐々に行われている。

別に祭りを宣伝するわけではありませんが、上記アドレスでその1300年の長さと深みを少しでもお感じいただければ幸いです。

更に、嫌韓などと、煽られてそのように傾斜している方々にはしっかりお読みいただければ有難い。
平和は国境を越えて人々の共感共鳴連帯によって作られるのです。
一部偏狭な両国指導者政治家やそのお先棒を担ぐマスコミに乗せられないようにするためには特に少しでも学ぶことが必要です。
因みに高麗神社には日本の政財界の大物が熱心な信奉者として名を刻んでいます。
反韓とか寝ぼけたことでこの神社を攻撃しようものなら大変なことになります。
念のため。


下記写真  作者と作品

高麗駅前にある小さな「観光案内所」、実は韓国物産店の様相ですが、珈琲を頼んだら小さな部屋に通され、その展示品が素晴らしかったのでアップします。
和みます。

この作品群は高麗神社でのイベントで韓国から運ばれたものをご主人が日韓交流のためにと拝み倒して頂戴したものとか^^。(一体くらい私も・・・いや、不埒)

韓紙と呼ばれる紙で作られた人形や風物です。
作者は韓国無形文化財の方。
日本でも和紙人形があります。

庶民の姿は同じですね。