2015-08-07 三井寺~無動寺 三井寺~無動寺 (改稿再掲) ・ 31日9時半三井寺着。 園城寺町という町名、三井寺の本来の名前から来ている。 平安末、度々比叡山と争い、あの弁慶が比叡山から降りてきては暴れたらしい。私の「竹取幻想」においても園城寺という名を使わせていただいている。 治承4年(1180年)源頼政は以仁王を奉じて挙兵、ここ園城寺を頼ります。しかし、時の利あらず、彼は以仁王を南都興福寺へ逃がし、自らは宇治平等院にて平家の大軍を前に自害します。 園城寺もそのとき平家に焼き払われています。 その名、園城寺らしい落ち着いた美しい町です。 駅からゆっくり10数分ほど歩いて到着しました。昨日の雨で石畳も木々も清々しい色彩と香りに包まれていました。 香が満ち満ちています。 時間の早いせいと平日、かつ紅葉前とあって広い境内には人の影がわずかです。 寺域全体が国宝的な歴史を持つ中を贅沢に過ごしました。 中でもやはり金堂は見事で、中のみ仏たちの佇まいには荘厳があふれています。 弁慶の引き摺り鐘、これを比叡の山まで引きずった弁慶は伝説世界史屈指の力持ちです。誰もいないのをいいことに押してみましたが反応なし。当たり前ですね(笑)。 ほか三重塔、南院、北院のフェノロサ墓所、そうそう、南院の観月舞台も必見です。琵琶湖の眺めが素晴らしい。 ゆっくりしすぎました。 11時近く慌てて次の比叡山へ。ケーブルカーで登りました。琵琶湖が時折木々の隙間から見えます。 まずは腹ごしらえ、一隅会館で蕎麦をかきこみました。 比叡山でも私のお目当ては無動寺です。 西行が無動寺を訪ねて慈円と詠み交わした歌の場所を見たかったのです。前日記「にほてるや凪ぎたる朝に見わたせば」が、その感想です。 にほ照や凪ぎたる朝に見わたせば 漕ぎゆく跡の波だにもなし 西行 ほのぼのと近江の海を漕ぐ舟の 跡なき方に行く心かな 慈円 当時最高の歌人二人の静かな歌の詠み交わし・・・ その場所を訪ねたいと思いました。 しかし、無動寺は谷へかなり降りてゆかねばなりません。 ここも訪れる人はほとんどいません。 静けさのなか、杉の巨木が林立する結構な勾配を降りてゆくと明王堂がありました。 中で、恐らくはまだ若い坊さんの叫ぶような、叩きつけるような読経が続いていました。 その小さな前庭から琵琶湖が見えました。 また法曼院からの眺めも素晴らしい。 なにせここも盛大に焼き払われているので、西行たちが歌を詠んだ場所は特定できませんが、確かにこの辺りの眺望は彼らの歌にふさわしく思えました。 次に、お隣の弁天堂へ。 弁天様を拝まないと女難の私の厄が落とせません(嘘)。 母娘ひと組みが熱心に拝んでいました。 ここは一層独特な雰囲気です。 お稲荷さんの狐がいまにもそこここから飛び出してきそうな気配が薄暗い境内に漂っていました。