pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

やさしさというもの 2

「お米がいっぱい詰まっている米櫃に手ェ入れて温もっているときが、いちばんしあわせや。・・・うちのお母ちゃん、そない言うてたわ」


おんぼろのだるま船、「廓舟」で暮らす母と子・・・
周囲に廓舟の子や、と嘲笑される娘の銀子と喜一。
生活苦から「淫売」に堕ち暮らす母。

このような舟の存在は私は気づかなかった。
昭和30年前半、それは高度成長期に突入した時代。貧しい人々が急速に「表」から消されて「裏」に「周縁」に追い立てられていく時代だった。
半壊のビルの一室に住んでいた母子もいつのまにか消えていた。

評論家の桶谷秀昭が解説に書く

「生活水準が向上して、一億総中流の意識が日本人を蔽った昭和50年代はじめに、人々の感受性から失われたもの、生きることの哀しみを作者は回想して、泥の河の周辺の風景の中心に据えた」

そしてその見方に上記の米櫃の話を出す。

「悲惨この上ないこの一家を、作者は主人公の少年の眼を透して美しく描いている。
こ んな哀切な情景が日本の小説から失われて久しいのは、日本人の生活が豊かになったからであろうか。美徳というべき銀子のつつましい幸福をねがう心は、三度 の食事にも事書く貧しさと表裏であろう。しかし、近代生活の味を知ってしまったとしたら、やはりそれは美徳の喪失にほかならないのである。失われた美徳 は、今の日本人が再び貧困に見舞われる事態になったとしても、取り戻すことができないのではなかろうか。むしろ貧してさらに浅ましくなる心性が露呈するか もしれない」  (平成6年)

この文章には賛否あるだろう。
まず、そんな「美徳」を想像できるかどうか。
それは貧しさゆえの素朴な銀子の感情である、貧しい者に美徳などの余裕があるわけがない・・・etc。

そうではない。貧しいからこその美徳、言い換えれば矜持、モラルが在ったのである。

それは「いちばんしあわせや」という言葉に濃縮されている。
しあわせ、お米がいっぱいあるということへの「しあわせ」という表現は、見事にモラルである。
貧しくとも「しあわせ」を知っている、その知性が「しあわせ」という言葉を使わせるのだと思う。

銀子は信雄の家で信雄の母から着物をあげると言われて頑なに、しかも折り目正しく辞退する。

桶谷は銀子に視点を置いて考察するが、言うまでもなくそれは銀子の母、「淫売」と蔑まれた母から受け継いだ美徳である。

私には家庭でのそのような体験は無かったが、前日記に書いたようにその貧しさは近所にも学校にも垣間見れた時代だった。「荒くれ」もあちこち暮らしていたはずである。
私は町内にかぎらずどこにでも出かけては「勝負」していたが、一度も喧嘩になったことはなかった。今から思えば子どもの世界は随分と平和だったのだ。

風呂屋からは追い出しを食ったがその後母と一緒の時は優しかった。商売とはいえ。
パチンコ屋で日暮れまで遊びほうけて母から捜索願を出されていた。パチンコ屋で遊んでいた「おっちゃん」たちも優しかった。たこ焼き屋やお好み焼き屋のおばちゃんたちも、友人の親たちもなべて優しかった。
学校の美しい担任の先生は、寂しいからか暇だからか学校を覗きに来た母を教室に招き、給食まで一緒させてくれた。天性無邪気な母は味をしめてその後時々学校に遊びに来た。





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性懲りもなく、つづく^^;