2015-08-07 『写生帖』 辻まこと ・ 辻まことの『写生帖』という作品の冒頭にこの詩が掲げられている。作者、陶晶孫、「歴程」同人。 昭和26年ころの「歴程」戦後第一回の詩画展のおりに、色紙にしたためられて出品されたという。 台風従井裡 颱風は井の中より起き 起 洪水従沙漠 洪水は砂漠の中から生じる 来 辻によると、「井」は台風の目を指す表現らしいが辻も感じるように、井戸で良いと思う。 気付いた時には手の施しようもない。 (この詩、個人の内面、生理などにも当てはまる) 「おそらく陶さんの意識にはなかったとおもうが、この四本の線の壁に囲まれた閉された空間の象形は私に、この島国の具体と、その性格を示しているように感じられた。戦争という大きな颱風の中心を成す「井」の中で、無力にも私は蛙ですら無かった」 辻は陶氏のその書の格の高さに目を見張り、700円で買えた事に喜び、また次のように言う。 「以 来私の部屋にずっとこれは在る。自分の内面のことはさておいて、窓の外に起来する世事一切の現象に、この詩の語っている大自然の真実が当嵌まらなかったこ とはなく、日常万千の小颱風小洪水をこの書の独特な格調を通じて見る眼を私は習慣づけられたといってもいい。おそらく将来のどんな時点についても、生起し 衰耄する風水の姿があり 、それを常住する人性のドラマがあるだろう。陶さんの詩は、生理の宿命を遠く限定すると同時に無限の展開を私に想像させている」 さすが第一級の鑑賞家でもある辻の文章である。 当時の新橋の闇市の世相、人性と、その詩について 「そ こで右往左往している自分を含めた民衆の折れ釘に似た生理にたいする諷刺を痛快という文字の示すとおちの気持ちで読み取ったのだ。長い戦争の惨禍作った欠 乏の砂漠からあふれでた吹き出ものー洪水の闇市ーすぐにつむじ風を起こす錆びて引っ掛かり易い人心。しかし、もう少し高く登ってみると、背景を成す彼方、 遠く大きく広がる過去の画面には、一層深く刻まれたこの詩があって、痛快などとはいえない苦味が甦ってくるのだった。」 敗戦後の開放感は沢山の文章に綴られているが、辻のように「苦味」を感じる者もいたのだ。 「折れ釘に似た」「ふきでもの」「錆びて引っ掛かり易い」人心に金子光晴もまた異口同音で『絶望の精神史』として戦後日本に叩きつけた。 「人間が国をしょってあがいているあいだ、平和などくるはずはなく、口先とはうらはらで、人間は、平和に耐えきれない動物なのではないか、とさえおもわれてくる」(光晴) 辻は当時の新聞広告に「啓蒙期の作家たち」という本のタイトルを見て「無性にお可笑しかった。人間の自惚れは都合の悪いことをみな歴史的過去に葬って、いまはずっと進歩し、蒙を脱したと考えるものらしい」と皮肉った。 敗戦後軽薄主義の到来であった。 『写生帖』の第1章で辻は自身の中国体験を述べる。 新米新聞記者として1943年天津特別市に着任する。特別市とは日本軍政の「顎の下」にある政府と説明し、市の貧民街が東側にあることに世界の大都市の貧民街が東側にあることに注意しながらその貧民街を歩いた経験が描かれる。 「この一色の風景の道上に、よく視ると一筋帯のように黒いしみが続いているのに気付いた・・・・略・・・・その黒いしみが血であることをほとんど疑わなかった・・・その痕をたどった。」 そ して荷車から川岸の平底舟に無造作にほとんど裸の死体を放り込む光景を見る。その中にはまだ生きている者がいて辻は驚いて人足に教えるが、人足は「死んだ も同じ」とその者を放り込んでいった。中には「黒っぽい油紙の包をしっかりかかえた女の屍体があったが人足が包みを開くと裸の嬰児の屍体だったりした。屍 体は舟で毎日運ばれ郊外の原っぱに捨てるのであった。 第二章「マーカールーとターカール-」では特別市のなかの旧英国租界の中の公園に生きる大道芸人たちの姿を描く。マーカールーとはその大道芸人の渾名でターカール-はマーカールーの芸の補佐役である大熊の渾名である。 この第二章は辻の数々の名文の中でも出色の一つと言っていい。 この二人?の姿を辻は万感の思いをもって描く。 ご紹介するには全文載せないと味が損なわれるので、怠け者巴琴がお薦めする珍しい一作ということで、ご関心の在る方は是非お読みいただきたい。辻の簡潔かつ詩人的な言葉の感動的展開は他の作家の比ではない。 いよいよ、明日広島、そして広島、敗戦(終戦と言うな!)へと日本の酷暑炎天の日々が続く。 勿論沖縄広島長崎他戦争の惨禍を伝え続けることはマスコミの使命であるが、中国アジアへの視点が何故か欠けている。意図的だろう。 ・ 引用 辻まこと全集 みすず書房