pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

弾圧



 日本開闢以来の大馬鹿な神がかり戦争により、開闢以来のとんでもない犠牲を払ったうえで、せっかく民主主義の権化のような憲法を手にしながら、カネ亡者の政治を70年以上許してきて、もはや仮面独裁政治と呼ぶべきである。
 それは国民を映す鏡であり、知性の欠片もない強欲政治家と朝三暮四の三猿有権者の国。いや、沖縄はまだ染まり切ってないが時間の問題かもしれない。見える弾圧、見えない弾圧を張り巡らせているのだから。

 その結果として、我々の死の姿ほど滑稽なものはない。
上辺は恭しく、実は生ゴミと変わらぬ意識で管理され収奪され捨てられていくのである。

 その終点としての死から遡ってみよう。
 既に政府は70まで年金を払わぬ画策をしている。老年学会というふざけた学会の御用教授らが「心身の若返りを理由に、65歳以上とされている高齢者の定義を75歳以上に見直す提言を発表した。90歳以上は「超高齢者」と呼ぶとしている」

「心身の若返り」?
私は超劣悪な職場の職員環境から60定年でおさらばしてから若返ったという実感はある。これが70定年ならその前に死んでいる。
 笑うのもアホらしいご研究成果だが、年金を払わぬ目的が余りにも露骨滑稽であり、こんなクズ教授に教わる学生も悲惨である。彼らは大学教授であり、年金はさほど実感なく、もとより何の知的節操もない。

 まあこんな連中まで動員して、一見民主主義を装いながら、年金原資を食い物にしたいわけだ。
 オマケに「自民党が「死亡消費税」を導入を検討」という話も出てきた^^。いやはや・・・こちら東大の伊藤元重教授。もはや妄想で生きているのかな?
 ご存知の通り、医療と介護の劣悪に年金の支払い削減。というわけで「老人」の外堀はほぼ埋められて、カネさえ持っていれば恭しい「患者様」「入居者様」と呼ばれ「生ゴミ」となるのである。死んだら、はい消費税!だから、カネはない方がいい。



 医療は老人の薬漬けで儲かる。寝たきりの老人の枕元に10種類以上の薬の入った大袋が置かれていたと聞くことも多い。老人は病院・薬屋のカモである。つまり官僚・政治屋のカモ。入院すればたらい回しで収奪される。胃漏とか延命治療も未だ金づるである。私が以前勤務した病院は中堅だが、一日中薄汚れたカーテンで閉ざされた病室に隙間がないくらいのベッドの配置。そこで死ぬか、ほかに回されるか・・・過酷勤務で鬼婆と化した40代の看護師もいた、眠くて無気力な医師、無気力くらいならまだよい。金持ち医者のバカ息子やバカ娘がうようよしている。もちろん志のある病院、医師や看護師は少ない。ゼロではない。介護は前に書いた通り。

では子どもらはどうか。
以下、どうかご参照いただきたい。これは厚労省データをベースにしているのでガセネタではない。

「月9万円以下で暮らす日本人が2,000万人いる」
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/ab11c0cf758c4f1f009dc78adf180329

子どもにさえ責任を持たない日本である。今日も我らが宰相は莫大な国富をぶら下げ外国のニンジン馬探しに精励なさっておられるが、嘲笑されていることを知らぬ。

 我々慾ボケ大人たちの責任であるが彼らは責任感完全欠如、ニンジン馬でしかない。そのニンジン馬の例である。
ある病院や施設の話を聞いた。
元教授患者は看護師や介護士を激しく侮辱し粋がっているが医師には卑屈だとか。
元校長殿はボケていて、自己紹介だけできる。「私は○○学校校長、○○です!」
なんと幼稚で悲惨な人生を送ってきた人たちなのか・・・
こんなのがゴロゴロしている。

全体主義的資本主義下の隷属民の姿である。


賢明なる皆様はすでに手を打たれているでしょうか。
現実主義の谷川俊太郎大先生は既に数少ない良心的なホームをご予約なさっていらっしゃる^^。さすがじゃのう。

私はと言えば、ボケなければ孤独死が一番^^。
野垂れ死にが理想。
趣味人に「姥捨て山に入りたい」というお話も拝見。
姥捨て山入山会でも作るか^^。

いや、カネはない方がいいと書いてしまったが、あればの話、キューバの病院とかはいいかもしれない^^。人間扱いをしてくれるだろう。医師や看護師介護士に誇りがありそうだからね。




 状況は良くなるか?
ならないとすれば、我々の生ごみ世代より、子どもらの将来はさらに悲惨であろう。

ならば、我々は子どもらに深く詫びなければならない。恥ずかしく、どうしようもない大人だったと。

 昨日、『沈黙』を観た。原作は大昔に読んでいるが中身はうろ覚え。あまり面白く感じてはいなかったが、テーマには興味を持っていた。篠田監督の映画も昔あったが見ていない。
 信仰か死か。弾圧を跳ね返す意思の強靭さとは何なのか。彼らに死への思いを訊きたいくらいだ。しかし、スコセッシ監督も、神の沈黙同様に信仰者にも沈黙させたままだった。
 私はそのテーマの後に出てくる、隠れキリシタンの存在にも関心がある。その信仰の意思とはなんなのか。弾圧を懼れながらも子々孫々信仰を守っていった意思とはなんなのか。そんな人たちが東北にもいたという事を近年知った。

 弾圧という意味では近代以降の思想弾圧で虐殺された多くの人々がいる。強靭な思想と信念がなければ弾圧されないという事だ。


そう、最後に福島県広野町の高野病院院長、高野英男医師の死を悼んで拙文暴論終わりにします。原発暴発後近隣の病院閉鎖のなかで、医師として死の直前まで強靭な思想と信念、モラルを有して治療に当たった稀有な医師。
https://www.youtube.com/watch?v=xJyBjfwQP5c

・写真、撮りためたもの。
 ビデオ・・・美しい絵です。

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www.youtube.com