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pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

長崎と五島列島 遠藤周作と世界一不味い珈琲店 2




 信ずるとはどういうことか。
その究極が信仰であるが、俗物の私が俗世の中で経験してきた「裏切り」の数々を「棄教」という「裏切り」と重ねることは滑稽である。カネで釣られた管理職と、へつらう予備軍は組織としての健全性を放擲した無残な現代そのものであるが、子どもと同僚を踏み台として「出世」する神経はおぞましい限りであった。
子どもも同僚も周りで自殺する者が幾人もいた

内閣府警察庁「自殺統計」
平成25年:320人(小8人、中98人、高214人)という、これは児童生徒の自殺者数である。

 あくまで、「自殺」として扱われた件数で実際はさらに多い。つまり、毎日1人は自殺しているのであり、自殺を試みる子どもは何倍にも達しよう。もちろん教師の自殺も後を絶たない。

 忘れやすく、また無思考性の顕著な日本人は、それらの「数字」をちらりと見て終わる。わが事ととらえる者は少数である。教委や文科省はその「数」が問題であって、その「忖度」に長けた者が現場では「病死」扱いとかを平気でやるのである。もちろん文科省はそのデータ分析は怠りなく、指導通達も行うが、紙一枚。


 ここまで呆けた日本人とはなにか。何が原因か。
いや、なすすべがないというなら分かるが、紙きれ一枚の他になすすべがないのか。笑止極まる。
眼中にないのだ。

 学校の恐るべき教育効果の一つが「差別意識」助長効果である。差別意識を親も教員も果ては文科省も植え付けるのに今や血道をあげている有様を私は狂気と理解する。高校は特に、学業も部活も数字化された「評価」で予算配分されている。上中下で学校を分類し、管理職にウケる者は上、まあまあウケる者は中、逆らう者や無能は下に送られる。士農工商の支配構造を現実に今学校でやっているのである。
 生徒たちは無論、数値化された馬鹿気切った「内申書」によって細かく分けられている。これを狂気と言わずしてどう呼ぶべきか。また、学ぶには程遠い暗記は未だ大手を振り、点数という数値、偏差値という数値を目的とする「学習」を強制する。つまり、もはや「学ぶ」のではなく「点取り」なのである。
これらは全て児童生徒に「差別意識」を植え付け、優越感と劣等感が醸成されていくのだ。

 しかも、屋上屋を架すどころではない、文科省があれやれこれやれと業務も増やす。教師はもはや窒息状態であり、親御さんなら子どもの一日のスケジュールが凄まじい状態なのが、しっかり「見れ」ばわかるはずだ。企業戦士顔負けなのである。

 そんな学校実態と家庭、環境の相乗効果の中で救いのない子どもらは落命していく。

 前置きが長くなってしまって申し訳ないが、日本人の差別意識の根深さを示した。
為政者にとって、江戸時代から差別意識を国民に植え付けることは常套手段だったのであり、その結果、現代でも「死」は何らかの「原因」つまり、個別に責任を持たせつつ終わるのである。また、その結果として、自殺を免れた子どもらの中では自分の人間としての、半ば「自殺」を自分に強いて、適応せざるを得なくなるのであり、差別意識は強烈な優越感と劣等感という感情を強固にする。国民をそのように染め上げれば為政者にはこんな楽なことはない。

 差別はその究極に於いて弾圧をもたらす。殺すのである。
文科省が遂に本性を現し、銃剣道を導入させようとしているが、これはスポーツだといくら強弁しても、素性は戦前の軍事教練そのものである。差別意識を助長し、他者の痛みに無感覚な人間を育てれば突き殺す「スポーツ」も教育可能となる。

 そんな私の意識の中で、遠藤周作の『沈黙』の「弱者へのまなざし」、その「弱者」の「裏切りー棄教」は関心が強かった。

「この国は沼だ」

 拷問の果て棄教したフェレイラに言わしめたこのセリフは有名だが、たくまずして日本批評となっている。この沼は腐らせる沼だ。極東の島国に住む日本人にはかつて逃げ場所がなかった。そんな中で島原での大虐殺後にも伝道にくる神父と隠れながらも信仰を守っていた人々。キチジローは再三神父を信仰を裏切りながらもロドリゴに縋る。許しを請う。ロドリゴは最後に自分のせいで拷問にかけられる隠れキリシタンの「痛み」に耐えかねて踏み絵を踏むのだが、そのとき、「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と、長い苦しみを与えてきたイエスが沈黙を破り語りかけるのだった。

棄教したロドリゴの前に再び現れたキチジローに、ロドリゴはまた神を見る。

「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」

 キチジローの姿を通し神は沈黙を破ったのである。ここでいう強いものとは殉教者であるが、遠藤周作はその弱きものキチジローへの愛を注ぐのである。

 かつて、日の丸、君が代の学校への強制が激しくなった頃に、ある県会議員が「内心の自由はあるのよ!」と恐らく自嘲気味に吐き捨てるように言ってくれたことを思い出す。
 キチジローは内心の信仰を最後まで捨てずに苦しんでいたのだ。弱さ際立つキチジローだが、目の前で苛烈な拷問に息絶えていく仲間を見ながら、だれがキチジローを責められるだろうか。遠藤周作は自分の信仰問題のテーマとして自分の母親を裏切った自分の弱さをキチジローに投影した。

しかし、始めフェレイラに
「日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。
人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない。」
と言わせた日本人への理解はどうなのだろうか。
おそらく、日本人の信仰は浄土宗に始まる鎌倉期以降の念仏で救済されるというに於いて大衆化したのだが、概念的、神学的理解とは程遠い魂の「救済」を目指すものであった。従ってキリスト教受容も同じだったのではないか。極貧にあえぐ農民を顧みない在地仏教に人々はこの世の生き地獄からの救済さえ奪われていたのだ。キチジローもまた同じだった。そして現れた教会に救いを求めたのである。棄教すれば、死後天国に行く道を捨てることである。そのひたむきな思いをロドリゴは受け止めていた。この作品で、遠藤周作は救済を求めたのだ。

旅行は二日目の12日に、遠藤周作文学館学芸員さん案内で長崎の『沈黙』の場を訪れた。

始めは黒崎町にある枯松神社であるが、その前に「祈りの岩」と呼ばれている場所に、細い道を登っていく。
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巨岩の庇のような部分の下に空間があり、そこで信者たちは復活祭前の「悲しみの節」の夜にオラショ(祈祷)を唱えたという。数人は入れそうだが、その当時の光景はどうであったか。山奥のおそらく道もつけなかった草木の茂る中、まだ冷える夜に集まって祈っていた姿を思う。次に道を戻り、また登って枯松神社に行く。
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前日記で記した五島列島の山上神社と同じく、キリシタン神社である。興味深いのは、ここでは、その神社と寺にキリシタンは隠れていたということである。社の下に墓地があり、戒名と洗礼名が併存している。

 次に黒崎教会で、1897年にド・ロ神父の指導で敷地が造成され、1899年から建設計画が進行、1920年に完成したという。
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立派な赤煉瓦が美しい。この、ド・ロ神父は多才の持ち主で1868年(慶應4年)来日し、この外海地方で布教と慈善事業に人生をささげた人物で、地元では絶大な人気を誇っているそうだ。渡日以来没するまでこの地の人々に尽くし、故国フランスに帰ったことは一度もなかったそうだ。昼食に入ったレストランに彼の若いころの写真が置いてあったが、ジェラール・フィリップよりいい男である。女性は一目で入信するだろう^^。

昼食は夕陽が丘そとめにある「ラ・メール」でバイキング。地元のおばちゃんらの調理で、期待してはいけない。眺望は絶景である。
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その海を見渡す一角に遠藤周作文学碑がある。「沈黙の碑」という。
 「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」という、この碑文のために書いた言葉が刻まれている。それだけならどうにも気障に聞こえる表現だが、『沈黙』という作品世界と重ねて読めば素直に響く表現である。

食後、出津教会堂見学。
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この教会堂もド・ロ神父設計である。そのお堂の下に、ド・ロ神父が営んだ「旧出津救助院」がある。彼は地域住民を貧窮から救うために、農業指導、漁業指導、医療事業、教育事業など様々な活 動の一環でこの施設を作り、女性のための授産施設として明治16年(1883)に創設したという。女性の自立を目指したのである。とくに、日本生産は初となるマカロニは絶大な人気を誇ったらしい。とにかく万能のド・ロ神父様である。

次は、バスチャン屋敷跡で、バスチャンは洗礼名。伝説的な日本人伝道師。ここはさらに山奥にあり、想像した復元屋敷があるが、これはもちろん屋敷とは呼べない小さなくらい小屋である。
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前日記で触れた「五島崩れ」はもちろん長崎でも発生し「浦上四番崩れ」と呼ばれているが、こちらは大規模な弾圧である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E5%9B%9B%E7%95%AA%E5%B4%A9%E3%82%8C

その後、大野教会堂に行く。


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「どろかべ」というので、「泥壁」を連想したら、ここもド・ロ神父設計指導で完成したお堂で、その壁が石積みの独特の趣を持っている。窓が愛らしい。

締めくくりは遠藤周作文学館で夕日が丘に戻り見学する。ここも絶景。
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しかし、カフェがあり、ドリンク・ケーキセットがサービスされていたが、期待してはいけない。アイスコーヒーは、色だけ薄茶色の水みたいなものだった。このツアー、中身は良いが、これが〆では哀れである。


まあ、ざっと書き記すうちに何を書いているのか分からなくなったので、ここで終わりにします。
ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ