・
夕暮れにカナカナが鳴いていた。
先週、遠くで蝉の声を聞いているが、カナカナは近くで鳴いていた。
カナカナ蝉、蜩、どちらの呼び名が好きかな。
カナカナの夏の声かな秋を呼ぶ 巴琴
「俳句では秋の季語とされ、晩夏に鳴くセミのイメージがある」ウィキペディア
それは当然で、旧暦に従っていた季語だからね。7月は既に秋、季節感を先取りするのが旧暦の感覚とも言われるが、旧暦は二十四節気でもあり、それは農作業の重要な指標だった。
現代はその季節感がますます希薄となり、気候さえも日本の旧来の四季の感覚から遠ざかっている。
季節感を拠り所としてきた俳句の世界は将来どう変わっていくのか。
食卓もとっくに季節感を喪失しつつある。
猛暑、熱帯夜の連続の日々が関東では続いているが、気象庁は梅雨明け宣言を未だ出さない。だから私が勝手に梅雨明け宣言をだした。
だいたい、6月も梅雨らしい空は短かったように感じていた。荒川では取水制限2割となった。九州の豪雨も毎年恒例のようになったが、その降り方は尋常ではない。被害に遭われた方々の一刻も早い日常生活への復帰を祈るばかりだが、一方地震も頻発している。南極では最大級の氷山が分離したとか。
温暖化を感じさせられる自然界だが、人間にとっては気候変動の農業への打撃が心配になる。
その農業自体も60%を超える高齢化で尋常ではない。殆ど末期状況だが、若い人々を農業に従事させる魅力作りは無く、無策のままである。
その一方、子ども保険とかいう新たな税金をぶち上げて政権に人気取りを図った小泉の息子が農協潰しに画策していそうだ。農業への企業参入を開き、将来的に、企業≒地主、従業員≒小作人となっていくのではないか。耕作放棄地の増大も放置し、利益率至上主義の企業参入を導く。
水もそうだ。
民営化という利権、愚民政策で、下手すると外国資本に日本人の水が支配されかねない状況が画策されている。何とも信じがたいほど愚かである。農業、水、原発、学校教育、国家の基盤を崩壊させかねない惨状である。お目出度い国になったものだ。
そのお目出度い国のごまめ一粒の私は金子光晴の描くオットセイである。少し長いが引用する。
おっとせい 金子 光晴
一
そのいきの臭えこと。
口からむんと蒸れる、
そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしていること。
虚無をおぼえるほどいやらしい、 おお、憂愁よ。
そのからだの土嚢のやうな
づづぐろいおもさ。かったるさ。
いん氣な弾力。
かなしいゴム。
そのこころのおもひあがっていること。
凡庸なこと。
菊面。
おほきな陰嚢。
鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、いつも、
おいらは、反對の方角をおもってゐた。
やつらがむらがる雲のやうに横行し
もみあふ街が、おいらには、
ふるぼけた映画でみる
アラスカのやうに淋しかった。
二
そいつら。俗衆といふやつら。
ヴォルテールを國外に追ひ、フーゴー・グロチウスを獄にたたきこんだのは、
やつらなのだ。
バダビアから、リスボンまで、地球を、芥垢と、饒舌で
かきまはしているのもやつらなのだ。
くさめをするやつ。髭のあひだから齒くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人だとさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦だ。権妻だ。やつらの根性まで相続ぐ倅どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。あるひは朋党だ。そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。
おしながされた海に、霙のやうな陽がふり濺いだ。
やつらのみあげる空の無限にそうていつも、金網があった。
…………けふはやつらの婚姻の祝ひ。
きのふはやつらの旗日だった。
ひねもす、ぬかるみのなかで、砕氷船が氷をたたくのをきいた。
のべつにおじぎをしたり、ひれとひれをすりあはせ、どうたいを樽のやうにころがしたり、 そのいやしさ、空虚さばっかりで雑閙しながらやつらは、みるまに放尿の泡で、海水をにごしていった。
たがひの体温でぬくめあふ、零落のむれをはなれる寒さをいとうて、やつらはいたはりあふめつきをもとめ、 かぼそい聲でよびかはした。
三
おお。やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせたこの氷塊が 、たちまち、さけびもなくわれ、深潭のうへをしづかに辷りはじめるのを、すこしも氣づかずにゐた。
みだりがはしい尾をひらいてよちよちと、
やつらは表情を匍ひまわり、
……………文學などを語りあった。
うらがなしい暮色よ。
凍傷にただれた落日の掛軸よ!
だんだら縞のながい陰を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝禮してゐる奴らの群衆のなかで
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、 反對をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むかうむきになってる
おっとせい。」
(昭和12年4月「文學案内」に発表、詩集『鮫』昭和12年=1937年8月・人民社初版200部刊に収録)
さて、この詩が誕生した昭和12年、盧溝橋事件から泥沼の日中戦争突入。金子光晴は植民地支配や戦争に狂喜する日本人に、とっくに愛想尽かしをしていたが、詩人として最後の鬱憤と社会批評を詩に叩き込んだのである。
写真、
一時帰国した次男のスーツケースに入って悦に入るミーちゃん(^^)
2階から見た夕雲