pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

遠ざかる日々3 尹東柱

 
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収監先の福岡刑務所での写真。「訳のわからぬ」注射を何本も撃たれながら死去。最期は朝鮮語で大声で叫んだという。

詩集「空と風と星と詩」については過去にも取り上げました。今月22日からシネマートの新宿と大阪の2館で彼の映画が上映されます。私としては外せない作品です。

それにしても上の写真、収監先の手錠をかけられた姿なのに、余りにも清々しく余りにも痛ましい。

 

 

   「たやすく書かれた詩」

 

 窓の外には 夜の雨がつぶやきつづけ
 六畳部屋は よその国、

 詩人とは悲しい天命だとは知りながらも
 一行の詩を しるしてみようか、

 汗のにおいと愛のにおい ふくよかにただよう
 送っていただいた 学費封筒を手に

 大学ノートを 脇に
 老いた教授の講義を 聞きに行く。

 考えてみると 幼い頃の友を
 ひとり、ふたりと、すっかり失ってしまい

 ぼくは何を望み、
 ぼくはただ、ひとりで沈み込んでいるのか?

 人生は生きがたいものだというが
 詩がこんなに たやすく書かれるのは
 恥かしいことだ。

 六畳部屋は よその国
 窓の外には 夜の雨が つぶやきつづけている が、

 ともし火をつけて 暗闇を少し追いやり、
 時代のように来る朝を 待っている最後のぼく、

 ぼくは ぼくに 小さな手を差し出し
 涙となぐさめで握る 最初の握手。

 

母国を蹂躙する異郷での日々はどれほど辛いものがあったろうか。最後の連の痛切さはやはり本当の詩人を感じさせる。

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/684749/573409/78993225

 

 

次の詩は如何であろうか。

 

 尹東柱を読む (35) 「愛の殿堂」より

 

 http://www.geocities.jp/taejeon1958/Dongju/dongju-35.htm

 

【私訳】

      愛の殿堂

 

順よ きみはぼくの殿堂に いつ入ってきたの?
ぼくはいつ きみの殿堂に 入って行ったの?

ぼくたちの殿堂は
古風な風習がこもる 愛の殿堂

順よ 雌鹿のように 水晶の眼を つぶっておくれ
ぼくは 獅子のように 乱れた髪を ならそう

ぼくたちの愛は ただ口の効けないものだった

神聖な燭台に 熱した火が消える前に
順よ きみは前門から出て 駆けていけ

闇と風が ぼくたちの窓を打つ前に
ぼくは 永遠の愛を 抱いたまま
後門から 遠くへ 消えていこう

今 きみには 森林の中の 温かい湖水があり
ぼくには 峻険な山脈がある

 

なんて純情な若さ漲る詩か。 

詩人は無論詩作してカネ儲けしようなどとは考えもせず、自分の理念に殉じたが、美しい。

尹東柱にこの詩に描かれるような純愛の相手が本当に存在していたなら、読者も幾分かは慰められよう。

ブログ主は旧約聖書詩篇と対比させながら逐語訳と批評を試みている。尹東柱を味わうには優れたブログであり、深く感謝したい。

 

 


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今朝、咲いていました。
早起きしていれば咲く時の音を聞くことができたかも知れません。残念ながら未だその音を聞くことはできないのです。

我が家に蓮が来て3年。幅30cmほどの鉢に入れて、80cm径の睡蓮鉢に沈めていました。今年は4月にその30cmの鉢から取り出し、そのまま睡蓮鉢に植え替えをしました。広くなって喜んだのでしょう。葉がいままでの2倍以上に育ちました。今のところ、花茎はあと四本伸びてきています。