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私のような、いわゆる「奥手」の者が文学的関心を抱くようになるには時間が必要だった。
大阪の小3の頃だったか、同級生のある女の子に少しく惹かれた。惹かれたと言っても、遊びに行ったくらいで、彼女はニコニコと招じ入れてくれた。前後も何も覚えていない。とにかく遊びに夢中の時代で近所の仲間も含めて大阪市内を駆け回っていたから、彼女の事も、おそらく一度遊びに行って満足したのだろう。3年生の終わり、母は遠い洋上に居る父に帰郷を手紙で連絡していたらしい。私には天国のような世界だったが、確かに場所は天神も近い安治川の河口の町、ガラの悪い連中も多く、一度私が近所の家の粗末な路地塀を蹴破った事があり、そこのおっさんが怒鳴り込んて来たことがある。そんなことどもが重なったのだろう。
引越しには郷里の伯父が来てくれた。私の戦利品であるビー玉やパッタ(メンコ)の類はそれぞれミカン箱一箱分はあったが、みな仲間に分け与えた。
夜汽車だった。寝台で寝入る時に、その、一度訪れただけの彼女の顔が思い浮かんだ。それだけの話なのだが、異性を記憶した始めであった。
奥手ぶりは治らない。高校の時に初めて彼女と呼ぶべき相手に出会ったが、彼女は同じ市内に居ながら手紙のやり取りが主だった。まあ小さな町だから連れ立って歩くのさえ憚られたのだろう。
その彼女が正月に予告なく我が家に来た。居間の窓から彼女の振り袖姿を認めた私は親に伝えた。親は何故か慌てふためいた。なぜ慌てるのか、私には彼女の振り袖姿の訪れの意味がさっぱり分からなかったレベルであった。
詰らぬ事を書いたが、奥手とはそんな未熟さである。
そんな私は当時恋愛小説とは無縁だった。
中学時代の夏休み、家の中2階に積まれていた文学全集の中からパールバックの『大地』を読んだ。支配された中国人の極貧と惨めさの中でワンルン一家が描かれるのだが、ストーリーが面白く、小説に目覚めた。その後、3年生の夏、ロマン.ローラン『ジャン.クリストフ』を読んだ。大河小説だったが、私はジャンクリストフと対話する叔父のゴットフリートに強く惹かれた。
高校に入り、国語教師から、毎月岩波文庫を1冊買わされ感想文を出させられたが、その小説群は全て西欧近代の作品であったが、面白かった。『凱旋門』やら『他人の血』やらカミュやら、カフカやら、この国語教師の読書量は凄まじく同級生らも一目置いていた。
そんな中で、1冊、『風立ちぬ』が含まれていた。ストーリー性のない、サナトリウムでの静かで淡々とした生活が描かれていた。私はその清浄静謐な愛の世界に魅了された。その静謐な愛。まだ文学の入り口に立ったばかりの私には、その世界の背後の、堀辰雄の描きたい本当の魂を読む力は無かった。
それは「死」だった。堀辰雄は生来虚弱でありながら、親しい人々の死を見ながら生きた。いや、それは当時誰もが経験したことであったが、それを新心理主義の近代フランス文学を基盤とした新しい文学形式に置き換えて描いた。そこには、文字として現れる言葉の世界とその言葉の背後にある魂の世界が重ねられていく。自然描写も同様である。芥川龍之介の自殺、婚約者の病死、実の親同然に自分を慈しんで育てた養父や、実の弟同然に交流した立原道造の死を乗り越えて来た堀辰雄がその哀しみを『風立ちぬ』に昇華させたのである。哀しみと書いたが、そこには直接的表現でそれを吐露する言葉は描かれていない。つまり、死も、哀しみも、それはリアリズムではなく、リルケを超えた、日本王朝文学であった。風であった。付け加ええれば「あはれ」の風である。
王朝文学は日本人の美意識が最高潮を迎えた時期と言って良い。その美意識は歌集であり、物語であり、日記であった。そして、その美意識を研ぎ澄ます力となったのが、愛であり、死であった。それらは言葉の世界であり、その言葉は全てであった。彼らの愛は和歌を通し育まれ深まり、「あふ」のは終点であった。
従って、現代人の意識する容姿などの描写は殆どない。歌という精神世界が互いの全てであり得た。おそらく、精神史的な意味で、世界史上でも稀有な到達点を示したのである。その歌には自然への美意識と仏教的認識ー死ーが混じり合い、その上に愛が描かれた。
堀辰雄が晩年に王朝文学への傾倒と、王朝文学の素材から作品を生み出して行ったのはある意味自然な流れと言える。
昨夜、臥せりながら堀辰雄の『曠野』を読み返した。深く愛し合う2人だったが、女は家の没落により男へ別離を迫らざるを得ない。男は已む無く別れていく。別れを迫った女はしかし、いつかまた訪れてくれる事を念じ続けながらも、凋落の果て、近江の男に請われて同行してしまう。近江の男の家には男の妻がいた。女はその男の下女という扱いの中で暮らし、長い時を経て昔の男に見出されるのだったが、その時に彼の腕の中で絶命してしまう。
いうなれば死がモチーフであり2人の愛は精神世界である。それが、曠野の風景の中に描かれている。その風景もまた精神世界である。美しい小品だ。
忘れぬる君はなかなかつらからで
いままで生ける身をぞ恨むる
拾遺集
この歌が『曠野』冒頭に置かれているが、おそらくその歌はそのまま作品の全てであり、そして下2句は堀辰雄の胸中であった。
高校で初めて『風立ちぬ』に接し、その深さが分からぬまでも心の奥にこの作品は沈んだ。大学で最終的に卒論に選んだのだったが、古本屋街を全集探しに歩いた。あった。35000円であった。後日買うと予約し、カネを用意して行ったら値札が45000円。あくどい婆であった。しかし、布張りの函、雁皮紙の装丁、函には巻の収蔵作品名が印刷され、他に修飾のない美しい全集であった。今も書棚にある。
冒頭、私は奥手であると書いたが、その意味はこういう事なのだ。
今も恋愛小説には関心がない。いわんや現代小説なぞ読む気も起きない。
今朝起きらた体調はだいぶ良くなった。
しかし…雨である。
堀辰雄『曠野』
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4798_14201.html