pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

「エルネスト」




昨日、映画『エルネスト』を観てきた。

 ゲバラと共にボリビアで25歳で散った日系人フレディ前村という存在を知らなかったからだ。

 フレディの姉マリーと彼女の長男エクトル・ソラーレスの共著『革命の侍〜チェ・ゲバラの下で戦った日系二世フレディ前村の生涯』に魅せられた阪本監督による作品である。


アマゾンの書籍紹介
「50年前、チェ・ゲバラと行動を共にした一人の日系人がいた― 当時を知る者たちの証言から、日本人の血を引く戦士とゲリラの最期を克明に描き出す。 貧富の差が激しい祖国ボリビアの貧しい人のために医師を目指していた若者が、社会構造の矛盾そのものを変革するために行動することを決意する。英雄、チェ・ゲバラに見込まれ、ゲバラの名前から〈エルネスト〉を暗号名として与えられた若者は、ボリビアでのゲリラ活動に加わった ...」

 
 ゲバラの映画はこれまで『モーターサイクルダイアリーズ』『チェ 28歳の革命 / 39歳 別れの手紙』と観ているが、これで4本目。

 冒頭、1959年ゲバラが日本の官僚を出し抜き広島に向かうシーンから始まる。

「どこに行こうが私の自由だ」

ゲバラは始めから広島訪問を来日目的としていた訳だが、たまたまゲバラの広島訪問に関心を抱いた記者1人がいたお陰でゲバラ一行の黙祷シーンが撮影された。僅か3名が慰霊塔に献花するシーンは真摯さに溢れ胸を打つ。この撮影の時、キューバのアクターたちも原爆資料館で落涙したという。

「君たちは、アメリカにこんなに酷い目に遭わされて、どうして怒らないんだ」と中国新聞記者に話しかけたという。

 7月25日の広島の消印で妻アレイダに宛て、「私の愛する人。今日は広島、原爆の落とされた街から送ります。原爆慰霊碑には7万8000人の死者の名前があり、合計は18万人と推定されています。平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い。抱擁を。チェ」とつづっている。 https://mainichi.jp/articles/20170902/k00/00e/040/266000c


 ゲバラには理解不能であったろう。進駐軍相手に慰安所を作り、日本婦女を提供する気だった日本政府のアメリカへの媚び方を。その日本政府の姿勢は現在も変わらない。オバマの広島訪問においても変わらない。

しかし、ゲバラは言う。

「原爆に勝ち負けはない」

 その余りの災禍はアメリカの「良心」(あればの話)を永遠に苦しめるからだ。第二次大戦後、世界各地で戦禍をばら撒き、数え切れない殺人を犯してきたアメリカの姿と共に、わざわざ2発も日本に原爆を投下した狂気の姿は歴史に刻まれて、彼らの上っ面のモラルをはぎ取る。

 狂ったかのように覇権を求め続け収奪を旨とする米軍産複合体の資本主義支配は如何に理由を付けようが、その残忍さにおいて植民地支配に血道をあげたイギリス、オランダ、スペイン、フランス、ドイツなどと共に、また日本と共に歴史に永遠に刻まれる。

 それは心からの真摯な謝罪と反省の他に償いようがない。日本も加害国でもあった。その謝罪を帳消しにしかねない現在の安倍政府は露骨に対米従属を示す。沖縄県民をも蹂躙し、愚者はそれを喜ぶのだ。

 今朝、広島上空を選んで米軍機が急降下してフレアを何発も投下していったというニュースが流れた。

 その訓練を計画した連中は、幾ら無知な軍人とはいえ、広島が、かつて自軍が原爆を投下した土地である事くらいは知っているだろう。つまりは広島上空で投下させて嘲笑っているのだろうね。http://www.asahi.com/articles/ASKBJ5HG8KBJPITB00D.html

フレアとはミサイル迎撃のための「熱源」というが、ここまで日本人を愚弄する米軍の気持ちは分かる。政府がそうなのだし、そんな政府を国民が選んでいるのだから。

北朝鮮情勢が大変緊迫しているので、日米ともに訓練がしっかり行われることが重要だが、前提は安全性がしっかり確保されること。仮に周辺住民に何らかの影響があるとすれば、極力避けるのが基本だ」
と、小野寺大臣は仰って居られます。もちろん閣下は怒ってません。

 話が逸れたが、いや、直結しているが、ゲバラキューバはそんなアメリカを目の前で敵に回した。


「もし我々を空想家のようだと言うなら、救い難い理想主義者だと言うなら、できもしない事を考えていると言うなら、我々は何千回でも答えよう。その通りだと」ゲバラ


 ハバナ大学医学部へボリビアから留学していたフレディ前村ゲバラに質問する。

「あなたの絶対的自信はどこから?」
「自信とかではなく怒ってるんだ、いつも。怒りは、憎しみとは違う。憎しみから始まる戦いは勝てない」

 また、フレディは問う。

「いま、勉強以外にやるべきことは?」
「それを人に聞いてはいけない。そのうち君の心か教えてくれる」

 さすがに指導者に相応しい教養深い言葉が出てくる。ゲバラは最期を迎える艱難の地ボリビア山中でも読書に精を出していた。真の知性の人間であり、自由を体現した人間である。

「新しい人間になれ」

 ゲバラは学生たちに話しかける。ゲバラは学びを第一にした(学びとは暗記ではない)。魯迅の『故郷』に描かれる小作人の息子・閏土をゲバラは知っていた。ラテンアメリカの大地に奴隷のように使役される農民と同じであろう。また、尹東柱の詩の一節を想起される方もいらっしゃるだろう。

 
 フレディはボリビアのゲリラ戦に参加する前にゲバラから、現地名としてエルネスト・メディコという名を与えられる。ゲバラの名を与えられたのである。

 この作品、日本人阪本監督ゆえに広島から始まった。しかし、その後はフレディ前村のストーリーであり、ゲバラは折節現れるのみだが、その言葉は良い。ゲバラは暴力革命を起こしたんだよね〜、と仰るおバカさんには縁がない世界である。

 フレディ前村を演じたオダギリジョー、熱演であるがラストのストップモーションは新しいオダギリであろうか。ゲバラを演じたホアン・ミゲルも重量感と透明感のある存在で素晴らしい。どこかしら哀しみをふと漂わせている。f:id:pakin:20171017153020p:plain

 動画 「ケサラ」私の大嫌いな自由の森学園 2013楽祭 この歌詞は自由の森を去った音楽教師の作詞による。歌詞はこれが一番良いと思う。これを大声で歌える生徒たちは幸運である。

www.youtube.com