pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

句会第九回と施設とカタルーニャ


被虐の子我と遊びて師走かな

暁に白鳥の夢尋ねたし

 

お〜い、こっち〜、おいで〜

体育館で2歳の男の子が両手ふりふり満面の笑顔で駆けてくる。

トコトコトコトコ、コーナーの四隅で待つ指導員の手にタッチして、この子は3周走った。小さな彼の掌の温かさ。そのぷっくりした頬に今は幸せが詰まってそうだ。
しかし、君の居る時間は限られている。

 

先日、初めて授業をした。その時は10歳〜16歳までの子ども対象。7〜8割が個別指導を必要とする子どもたちである上、年齢層の幅が大きくこの全体授業は甚だ困難である。

「この字はわかるかな〜」
象形文字の人を板書する。
「よ〜く見てみな」
ぽか〜んとしていた子どもたちがヒントで次第に理解してくる。
「ヒト!」
「当たり!ヒトなんだな。この文字は近頃ね、ヒトがヒトを支え合う形と言ってる人たちが増えたがな、実は違う。だって、この文字が生まれたのは何千年も前の中国だよ。それから現代まで人は戦争ばかりやってるよな。歴史っていいかえれば戦争の歴史だろ。とても「支え合う」どころじゃないよね。じゃあ、どんな意味がこの象形文字に込められているのかな」

ぽか〜ん

「これ、ヒトが立っている姿を横から見た形らしい。そこでだ、私なりに考えてみた。つまり、立つ、に意味がある」

ぽか〜ん

「立つとどうなる?大きく違ってくるのは脳の発達、巨大化だよな」と巨大化を説明する。
「つまり、脳の発達によって、ヒトは考える力を大きく伸ばした。考える事、学習する事の力が動物としてのヒトから人間へと変えて行ったんだ。この象形文字を作った人はそれを表現したかったのかもな。あくまで私の見方だがね」


「じゃあこれは?」と「人間」と板書する。
「人と人間。同じく私たちを指してる言葉だが、何が違う?」

こんな調子で進めた。子どもたちは驚くほど熱心で、メモをとる。


多過ぎる。
いや、一人として入所してはいけないのだが、平均2ヶ月の暮らしをここで保護されて、後に然るべき場所に移っていく。国全体で保護預り件数は25年度で2万1千人を超える。虐待が異常に増加し、近年の特徴である外国人の子も増えている。ここには中東の戦地から来た14才の子もいた。

 

人心が荒廃すれば国は滅ぶが、都においてさえ「家の中で禁煙」などという馬鹿げ切ったスローガンを出す知事が誕生できる。施設には指導員の数が不足している一方で、莫大な予算を浪費するオリンピックの狂騒曲が正月にテレビに演出されるだろう。ポピュリズムは極まりつつある。

 

しかし、他国に於いて、希望という言葉が似合う国もある。それがカタルーニャである。予想通り、プチデモン首相とその盟友は巧みな駆け引きを続けている。その動向はネットでしか私は読めないが、記事の中で、元産経新聞で今はイギリス在住の「国際ジャーナリスト」と自称する男の記事が出ていた。さすが元産経新聞で首相らを「逃亡」と表現していたが、たくまずして己が権力の太鼓持ちである事をバラしたようなものである。

 

「逃亡」とは、スペイン政府の目線である。プチデモン首相らは「逃亡」したのではない。プチデモン首相側から見ればスペインの政治的弾圧から避難したのだ。言葉の使い方も知らぬ男が国際ジャーナリストとは噴飯ものであるが、恐らく日本人はその程度でもあるのだろう。軽蔑される事も知らずカネの話題に収斂させて得々とする。


私とは関係ない話?
遥かに遠いカタルーニャなどどうでも良い、か。
では、お聞きしたい。
そう言うあなたに関係のある話とは何か。

 


「お世話になりました!」

小学2年生の女の子が私たちが詰める事務室の入り口でペコンと小さな頭を下げる。泣き声に近いと見たら涙がこぼれていた。部屋に居る職員は全員起立して送り出す。短い間の、その期間だけの出会いでしかない。日々入退所する子らがいる。

 

  被虐の子我と遊びて師走かな


この句では、「師走」が浮いているというご指摘があった。12月と書いても同じではないかと言う。しかし私には12月ではただのカレンダー表現でしかない。初めて出会った月を師走という世相も含んだ表現にしたかった。クリスマスや仕事納め、終業式や大晦日を迎える慌しく賑やかな世相である。


  暁に白鳥の夢尋ねたし


この句は「被虐」の句の対句として出した。
12月から勤務を開始し、計らずも暁を得た。「被虐」の句が私には重すぎる。「ロマンティックな句ですね」と評されたが、確かに私自身もそう感じる。しかし、先の句が自分には耐えかねる重さであったから、ロマンティックの世界に溺れたい私の甘さが出たのかも知れない。

しかし、一方、この句は例の鶴彬の句「暁を抱いて闇にゐる蕾」を想起してイメージしたのである。白鳥という荘厳さえ感じさせるイメージを句に入れるのは困難なのは承知している。だから、この句も成功してるとは言えない。

 

今日から3日まで休み。休みの有り難さも再び感じるこの頃です^_^

 


写真


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嘗て住んでいたポチ子の小屋を昼寝場所と心得ているハチとモン太郎。