pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

ホッカイロと節分

 

 この2週間、すっかりホッカイロの世話になっている。当地での最低気温はマイナス7度を記録しているが、その時刻にバス停で待つのは応えた。更に西武線は暖房が走行20分ほどしないと効いて来ない。まるで人熱電車である。堤筆頭強欲の経営陣である。おかげで西武線沿線の風邪っ引きが多いという噂も納得できる。

 そこで堪らずにホッカイロとなった。足と腹、最近は手袋にも貼った。これは良い。

 

 ホッカイロで思い出したのは東北大震災の時である。3月末、ようやく臨時バスが仙台まで出るようになった。両親や弟家族は幸い無事だったが食料などが不足していた。

 私はシュラフを縛り付けた大きいリュックに食料を詰め、両手に袋をぶら下げ、夕刻に仙台に着いた。ホテルがなければ駅構内で寝る他ないが、幸いに営業しているホテルを見つけられた。停電でエアコンも風呂も無しだが駅のベンチよりは良い。そこでコンビニでホッカイロを買い、身体中に貼り付けて寝たのだった。

 

 それから7年が過ぎようとしている。その間、これ程の経験からさえ学ばぬ愚かな国民ぶりが遺憾なく発揮されて、幻滅極まる政治が続いている。

 

 一方、私と言えば、その後の両親の介護や看取り、義母の看取りで惨憺たる兄弟や義兄らの愚かさを見せつけられる始末だった。情けなさにも程がある。我が3人の弟のうち、一人が相続で狂った。数年前までフェラーリを乗り回す暮らしが破産によってドン底に堕ちていた。彼とは怒鳴り合いを演じなければならなかった。他方、義兄ら3人は、やはり相続で、グルとなって妻を他人とみなした。揃って一流企業の社員であり、それまで仲の良い兄妹を演じて来たが、相続により、アッサリその仮面を脱ぎ捨てて守銭奴を丸出しにしたのだった。こいつらにも怒鳴りつけた。縁を切るのに必要であったから。

 

 いやはや、身近でこのザマである。他所様をどうこう批判できる立場ではないが、しかし、そんな愚かな国民(無論全てではない)によって支持される政治がどれほど醜悪なものか。国民生活が破壊されていく姿を私は福祉現場で直接見ているから暗澹たる思いでいる。子どもとしての始まりから、老人としての末路まで悲惨である。

 

 

今日は節分である。

子どもたちが小さな頃は家中を豆だらけにしていた。無論、私が鬼であった。

施設でも鬼の面を作って飾っていた。あの子どもたちに取って、鬼とはなんだろう。

 

 

前の文章でご紹介した星野富弘氏の詩「たんぽぽ」についての、女の子の一文が手元にある。

 

「【ただ一つ】とは【命】。余計なものとは【欲】」

 

 

 無欲のモン太郎。
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