pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

墓参とカタルーニャと放射性廃棄物

福島市花見山
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お彼岸には間に合わずに漸く墓参ができた。

墓参とは言え、なに、線香を上げてくるだけであり、墓参にかこつけて少し遊ぼうというさもしい了見でもある。

 

今回は久々に常磐道を通る高速バスに乗った。

大惨事が起きるずっと前、帰省で子どもたちを乗せて走った道である。

放射線測定表示板が時折道路脇をよぎるが、そんなものは宛にもならず見る気も起きない。それより高速道路フェンスの外に積まれた夥しい黒い「土嚢」が不気味であった。捨て場所さえ無く、こんな所に…と思いきや、そのうち田畑や山林だったと思しき土地の整地作業があちこちで行われていた。恐らく、廃棄物の集積所となるかソーラーパネル設置かのどちらかである。


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午後4時頃に墓参したが、親の眠る墓のほか、親類の墓地も同様に造花の花盛りであり、これは愚弟な仕業とわかる。だいたい後ろめたい奴に限ってこういう事をするものだ。

 

市内のビジネスホテルに泊まり、翌日は福島市に行った。阿武隈山地を貫く「復興道路」なるものが完成しつつある。笑わせる。復興と名付ければ税金も、あの莫大な義援金も使い放題である。義援金と言えば、知り合いが以前義援金の名簿作りの一番下の下請けをやったそうだが、金額も間違えようがノーチェック、その杜撰さに呆れたそうだ。もちろん、その下請けもご他聞に漏れず第何次かのもので、中間は右から左で労せず儲けられる。で、最下層の下請けが最低賃金にもならぬ労働をする訳である。

こんな杜撰さであるから、ましてや今般漸く表沙汰になったように政治家や官僚のご利益忖度制の下では、世界中からの莫大な善意がどのように「私物化」されているか分かったものではない。

 

復興とは生きている避難者が立ち直って始めて言えるのだが、この国の復興とは税金や義援金を如何に食い潰すかである。避難者が追い詰められ自殺者が出てもその根性は些かも揺るがない。まさにニンピ人国家であろう。

 

などと「復興道路」を横目に思いながら朝福島市に入った。

福島市は私が大学を出て初めて勤めた所であり、40年の月日は市を大きく変貌させたが、ところどころに面影が残っている。最初は信夫山という市のシンボルの低山に登った。寺社の多い山で修験道の山でもあった。途中、猫神社を見つけた。間道に入り民家の庭先の奥に慎ましく在った。愛猫家たちが可愛がった猫の写真をビニールシートに入れて掲示板に沢山貼り付けてある。猫っ可愛がりとは良く言ったもので、恐らく人様より純粋な愛情を吐露している。


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さて、花でも見ようと登ったのだが頂上の整備された公園の辺りはシートで覆われた廃棄物があちこち置かれている。いやはや、捨て場所が無い。で、手っ取り早く公共地へか。こうなると信仰も何もあったものではないのだ。背に腹は代えられぬ。半永久的な極悪廃棄物は日本国民スーダラ無責任自己中のシンボルである。

 
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などと思いながら山を降りて、昔行った、大番という料亭に鰻を食いに行った。昔と変わらず美味い。40年以上続く訳だ。鰻と聞くと、あのニョロニョロ、なが〜いのは嫌!という御仁もいらっしゃるのは知ってるが、美味いものは美味い。背に腹は代えられず、鰻に他は代えられぬ。美味い鰻君が悪いのだ。いや、鰻君は悪くない。食らう私が悪いのだと合掌しつつ食す。

 

さて、満ち足りた腹を確認しながら、まだ宿に入るには早い。そこで、花見山公園という情報を得た。昔も在ったが行ったことはない。私は昔は今以上に頑なでへそ曲がりであったが、今はまぁ円満まろやかな人格となり果てている。再びバスに乗り、公園入り口バス停に着いた。そこから歩いて20分ほどで本当の登山口に着く。

 
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食わず嫌いというものだった。いや、いわゆる「名所」の事である。

花見山の名に恥じぬ花の里山、人は「桃源郷」とも呼ぶらしい。花の合間から吾妻山の銀嶺が輝いている。説明より写真である。


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種類によっては満開にはまだ早いが十分。いや、全て満開の頃は花の数より人の数の方が多くなりそうである。良かった。以前、吉野山に行った事があるが、上千本までは人がいた。更に奥千本から西行庵まで歩くと人はまばらとなり、存分に楽しめた事を思い出した。

  その日の宿は飯坂温泉の小さな旅館であった。しかしこの宿、すぐ近くの鯖湖湯という共同温泉と同じ湯である上に、朝食付きで5千円少し。おまけにサービス良し。良し良し。

 

如何に日本人が穢そうが、天上の花の輝きは永遠であり人間の醜悪など眼中に無い。

 

そう、カタルーニャ。まだまだその抵抗精神は続く。バカな日本人がその独立運動をけなしているが、最近、スコットランドに渡っていた教育相クララ・ポンサチ教授が出頭したらしい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20180329-00083280/

 

スコットランド国民党国会議員で、ロンドンのウエストミンスター議会におけるリーダー、イアン・ブラックフォードは、もう英国のスペイン大使に「この問題について、大至急話し合いをしたい」と、手紙を送ってしまった。

手紙はこう始まっていたという。

カタルーニャの独立支持の政治家を追跡する一環として、スコットランドで尊敬されている学者である元大臣が、反逆罪の罪状に直面していることは、ひどく残念です。そのような罪状は、スコットランドの法律では認められておりません」  」

 

いいですねえ。日本では殆ど死語である「尊敬」という言葉が生きている。相手がこんな表情を持つ女性だからかな。表情は全てを伝える。花のある(華ではない)表情とは、このようなものだ。

 

この文の日本人筆者は「カオス」と婉曲的に表現しているが、今回のカタルーニャ独立闘争は囲碁将棋のようなもの。如何に詰むか。実はスペイン政府が日本政府の真似をしたかどうか知らぬが、初手で、逆らう「国民」に武力弾圧をやってしまった。EUの建前である「民主主義」の中で。ドイツに拘束されたプチデモン首相は鬼の腹の中に飛び込んだ一寸法師のようなものであろう。背に腹は買えず、腹は身の内。スコットランドのイアン・ブラックフォードは「そのような罪状は、スコットランドの法律では認められておりません」と早々と宣言した。先手必勝の構図であろう。

  欧州一、いや世界でも最強の女性アンゲラ・メルケル首相はプチデモン首相だけでなく大変な女性を抱え込む事になる。

 

先程帰宅した。

我が里山も一面の春色であった。

明日も歩こう。