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一月経つのが速いこと。
今日、句会ということで、慌てて兼題の「梅雨」で二句、他に日頃書いていた三句を書いて提出した。
兼題「梅雨」
梅雨に濡れ天に向かふは紅き薔薇
この句、梅雨と薔薇が二重季語となっていたので、上の句「梅雨」を「雨(あめ)」と訂正。
つゆ草の雨に打たれてなほ立てり
この句のつゆ草は紫露草として詠んだ。紫露草そのまま詠めばそれだけで8文字字余り。
兼題の「つゆ」を露草として無理やり押し込んだが、やはりルール違反。調べたら露草は秋の季語。
紫露草の花はもう咲いているが、季語にはなってない。露草は「露」の秋となるらしいが、季語の概念の方が変だとも感じる。紫露草は露草と科は同じだが、属が違う。しかし、同じツユクサ科なのだ。となれば季語という煩わしさが問題となるのではないか。紫露草は茎がスッと伸び庭に沢山咲くのだが、美しい。また、その柔らかな茎は折れやすく雨滴の重さにも辛うじて立つ。上の句はその紫露草を詠んだのだが、科として同じなら良しとする私の独断である(無理承知)。
新樹蔭風吹きわたる波のごと
新樹蔭の説明から入った。何とも快適極まりない感覚、至福の時を諒解頂いた。
青嵐に揺らぎ歌ふは大樹かな
この句も同じ場所で浮かんだ。「青嵐」の持つイメージを諒解頂くとその爽快な光景への感受が深まった。
モンとゐる公園ベンチの新樹蔭
モンが我が家の猫のモン太郎であると前置き。私が公園に行くとモン太郎もハチが跳んでくる。たまたまモン太郎がベンチで共に寛いでいた光景。
憶い出も梅花空木の花に似て
この句は「も」のイメージが問題となった。純白の花の如き記憶だけでなく、他にもあるという含みを持たせたのだが、そうなるとイメージが拡散してしまう。そこで宗匠より「も」を「は」とした方が良いと判断頂いた。実はこの「は」は句作では用いるのが大変難しいと、私の前の方の句で指摘されていた。「は」を上手く活かせれば素晴らしいということだが、それが早速適用された。
憶い出は梅花空木の花に似て
確かにこの方がずっと句意が鮮明になる。
「この純白の記憶って、巴琴さんのどんな記憶ですか?」と尋ねられたので、これは、そう在りたいという願望ですと逃げた。
次回の兼題は私が指名されたので「たちばな」とした。