2018-09-11 宿命を乗り越える 秋澄みぬ ・9日は重陽の節句だった。桃の節句の桃の花に対して菊の花。重陽の雛飾りは後の雛と呼び江戸時代は行われていたという。重陽とは九の重なりの事で陰陽道では最強の陽気を持つ九が重なるのは不吉ゆえに、その邪気を払う行事が重陽の節句の起源だったという(ウイキより)。重陽の節句に於いては私はすぐ杜甫の「登高」を思い出す。杜甫の壮大なスケールの自然観と老衰寂寞悲哀の中に強烈な自己肯定を打ち出した、杜甫詩の頂点を感じる作品である。 谷口真由実 1987-06-27「杜甫の「登高」詩について : 潦倒 新たに停む濁酒の杯」 http://jairo.nii.ac.jp/0025/00044212氏が筑波大学大学院時代の論攷を見つけた。ようやく「登高」の納得できる解釈に巡り合った。これでこそ杜甫である。ただ老残と別離への悲嘆に暮れる従来の解釈は訂正されるべきである。高きへ登る杜甫。ご関心を持たれる方は上記の谷口真由実氏の論攷をお読みいただければと思う。後の雛・・・どころではない、桃の節句さえ雛飾りは子どもらが家を出て以来、絶えてない。杜甫は生活のため万やむを得ず家族と別離したが、生きるには不自由のない私の家族は「別離」のままである。便りのないのが宜しいという塩梅である。 後の雛冷えし扉のなかにゐて 冷の庭蟋蟀の声賑やかに 草ぐさもお辞儀を交わし秋澄みぬ