私自身、短歌や俳句などいわゆる文芸創作を始めたのが8年前くらいの初心者ですから、偉そうな事は言えませんし、偉そうな能力もありません。
しかし、そんな私でさえ近年の文芸については殆ど諦めて居ます。出版社の愚かさ--目先の利益至上主義ーーが如実に現れる事例が度々で、最近では小説に於いてはコンビニ礼賛が芥川賞になるとか、昔では俵万智さんの誰でも分かる口語会話短歌やら、その上の世代ではヱロ俳句師ツボうち天然先生がいつの間にか大学の教育学部で教えてらっしゃるという恐ろしい時代なのである。更に時代を上れは、明治の正岡子規の、その文字の意味以外汲み取りようのない俳句など。詩の分野ではかの谷川俊太郎先生がタレントになり切ってらっしゃる。谷川先生は多分開き直ったのだろうね。ウケれば良し。
正岡子規は俳句に於いて革新たらんと、その意気や良しと思うが、その後の利権俳句隆盛を招いた遠因とはなっている。それはしかし跡を継いだ奴が下らんだけ。何事も「大家」となると堕落する。日本人は。
そんなこんなの時代の趨勢により、一見、商業主義に煽られ乗せられた我々凡愚が文芸を真似て見ようとして、俳句や短歌、小説などに手を出す愚かさは赤面の至り。私など穴をいくら掘って入ろうとも入り切れぬほどの愚かさを重ねてきた。あ〜生き恥。
しかし、私だけではない。上に「我々凡愚」とちゃんと予防線を張るくらいの知恵はある訳で、このネット上に散見する俳句や短歌を拝見し、呆れ果てる一方、素晴らしいと嘆息する方もいらっしゃった。白妙さんという女性は歌歴50有余年、然るべき歌会にも属されながら、ネット上にもその歌をご披露なさっていた。敗戦後、朝鮮半島から弟たちを連れ脱出し、労働しながら弟たちを育て、かつ夜間高校を卒業なさった。
そのお歌は端正、含意深く広く、上辺叙景でも心の深さを感じる美しい歌だった。
凡愚例歌(実作ではない)
「オヤジは反対すると思うけどカナダ人と結婚します」
これが……短歌……と時代遅れの私には感じられる。
無意味な、タダの平叙文が短歌となる現代。
「オヤジ」は「オフクロ」でも「婆さん」でも良く、「カナダ人」は「イギリス人」でも「ドイツ人」でも置き換えて何ら不都合はない。
絶望的な思考停止。どこの世界に人種と結婚する者がいるのか。せめてマリリンとかトランプとか書いてほしいものである。
なおかつ「反対すると思う」という表現はまだ「思う」の段階。反対意志を確認した訳でも何でもない。従って、この「短歌」は、単に「結婚します」だけという平叙文(普通の文)である。
これが仮に「ボコハラム」の人間と結婚したいとかであれば歌意も広がる可能性は少しはあるが、なにせ平叙文。
出版文化というものがある。
その良心はごく一部を除いて消えた。新潮社など見るまでもなく。
安易平板奇抜奇矯下劣を旨とする。
もうまともな編集者などいないと嘆いていたのは30年以上昔の話。
まぁ、お前の愚作よりは余程良い短歌だ、と言われるのは間違いないので、この辺りで嘆くのは止めよう。というより所詮「好き嫌い」の世界である。その好き嫌いの断層の質の違いである。
写真 借り物。穴があったら入りたいボク。