2018-10-31 G・ガルシア・マルケス(改)とカタルーニャ問題 久しぶりにマルケスの作品を思い出しました。以下、1は4年前に書いた文章です。2~3はそれ以降。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1ガブリエ・ホセ・ガルシア=マルケスは今年4月17日に亡くなった。http://www.all-nationz.com/archives/1009130196.html今回ご紹介させていただく「悦楽のマリア」などは、カタルーニャ独立運動を象徴的に描いている。かつ、「愛」を、個人的な領域とともに「普遍的領域」(世界との連関)へと昇華させている。この「悦楽のマリア」は不思議な余韻を際立たせる作品である。 マリアは76歳の元娼婦で、自分の死を予告する夢におびえつつも、自分の 墓を買おうと、セールスマンを自宅に招くシーンから始まる。彼女は時間通りに来訪した若いセールスマンに「少々古めかしい感じがするほど純粋な、完璧なカ タルニア語を話したが、そこには今なお、忘れかけたポルトガル語の音楽的な響きが残っていた」つまり生粋のカタルーニャ人としてまず描かれる。カタルー ニャ地方というのはまた複雑な歴史をもち、フランシスコ・フランコの独裁政権により、地方語は激しい弾圧を受ける近代史を持つ。 マリアはその弾圧された側の女として読まねばならない。 次にマリアの飼い犬、小型犬ノイが登場する。ノイはいたずらをして彼女に目で制止され、うなだれて涙を流す。その時のマリアの言葉「普通の飼い主は一生懸 命彼らが苦しむような習慣ばかりしつけるのよ。お皿から食べさせたり・・・なのに、彼らが好きな、自然なことは教えないの、笑ったり、泣いたり」 つまりノイはペット犬の宿命を表しつつ、カタルーニャ人をも象徴する。上手いねェ、この隠喩も。 彼女はドゥルーティというアナーキスト指導者の葬られた「名前のない」墓、「もっとも悲しく、もっとも荒れた葬儀だった」男の墓の近くに眠りたいという女である。 彼女は遺産の分配においても「自分の心の一番近い人たちに・・・決めて、財産の詳細なリストを・・・それぞれのものの正確な名前を中世カタルニア語で口述」という公証人を唖然とさせる女である。 彼女はノイに自分の墓を識別させ、ついには家からひとりで墓まで辿れるように教えた。 ここは前半の感動的な場面である。 彼女には長い年月パトロンとしてカルドーナ伯爵がいた。かれは夏にこの地に来るが「彼女が五十歳にして驚くべき若さを保っていたころよりもさらに魅力的になっているのを見出した」 あり得ることだろうか。 マリアの生い立ち・・・ 十四歳で母に売られる。ずっと無残にもてあそばれ、パラレロ大通りの「光の泥沼」、売春宿に暮らし続ける。最後に伯爵に拾われる。 そのマリアが伯爵の不用意な本音ーフランコの弾圧支持ーに激しくやり返す。 「ということは、有無を言わさず銃殺にするということだな」と彼は言った。「統領は曲がったところのないおとこだから」 「ひとりでも銃殺されたら、あたしはあんたのスープに毒を入れてやるから」 伯爵は仰天した。 「一体、どうして」 「あたしも曲がったところのない売春婦だからだよ」これで二人の関係は終わる。 彼女はノイを近所の娘に、自分の死後与える約束をする。 「たった一つの条件は、毎週日曜日には何も心配せずにノイを放して やること。どうすればいいのかノイはわかているから」少 女は大喜びだった。マリアも歓喜とともに帰宅したが、彼女の「人生は、凍りつく十一月のある午後、彼女にかわって勝手に決断したのだ。習慣となっていた墓 参りの帰途、雨に打たれ、ノイを抱いて途方にくれるマリアを一台の車が援け、自宅まで彼女を送ってくれる。若い労働者風の運転手。 自宅前について、かれは「上がっていいですか?」と聞く。 「のせてくれたことには感謝してるわ」と彼女は言った。 「でも、私をからかうことは許しません」 「からかうようなつもりはまったくありません」と彼は断固とした真剣さ をこめてカスティーリャ語で言った。 「あなたのような人に対して、そんなつもりはなおさらありません」マリアは「長い人生を通じてこの時ほど判断を下すことに恐れを感じたことはなかった」 「上がってもいいですか?」 彼女は車のドアを閉めずに遠ざかり、確実に理解されるようカタルーニャ語で言った。 「好きなようになさい」マリアは「死の瞬間のみ可能だと信じてきたような恐怖の感覚に息をつまらせながら、震える膝で階段を上り始めた・・・ノイが吠えようとした時、「お黙り」と彼女は今にも死にそうなささやき声で命じた・・・(予告の夢の)解釈が誤っていたことに気づいた。・・・・・・・ そのときになって、、かくも長く、何年も何年も待ち続けて、それがたとえ、この一瞬を生きるためだけだったにせよ、暗闇の中であれほど苦しんだ甲斐があったことを知った。 (要約終わり)G・ガルシア・マルケスのこの短い物語を漸く自分なりに読み終えて、今更にマルケスのスケールに圧倒される思いである。 文章技術や文字通り該博な教養が基盤であることは言うまでもないが、その作品の本質は、「詩人」であり、わが卑小浅薄な鑑賞力を棚に上げて申せば、「至高の愛」である。それは長編「コレラの時代の愛」と通じかつ高めた。 老いたるマリアを「五〇代のころより魅力」に溢れていたと伯爵に感じさせ、ラストは青年の心を奪う存在として、作者はマリアに現実の人物像としてのあり得ない美を与え、すなわち、マグダラのマリアをその姿に重ね合わせていく。 78歳のマリアはラストシーン。階段のやっとの思いで一段一段上がっていく。彼女の吐く息が聞こえそうである。彼女の「悦楽」すなわち法悦が彼女の心臓の鼓動の響きとして読む者の心を揺さぶる。その老いたる姿が私にはスローモーションで若き麗しのマリア像に転換するように見えてくるのである。一段一段上がる度に若返っていく。その様はまことに感動的なのである。「78年」(78年、符牒の数字)の長きにわたって「愛」という潤いを封印してきたマリアが、そのラストにおいて「愛」を獲得する。 このまま間もなく「死」を迎えるのではなかった。マリアはそこから、たとえそれが一瞬であろうと(この自覚自体も魅力です)、その先新たなマリアとして生きていきます。 そんなマリアの姿がカタルーニャ独立の栄光と歓喜に重なるとすれば、長きに亘って虐げられ抑圧され続けた人々への、マルケスの共感としての最大の賛辞であり、文学者としての同志パブロ・ネルーダへの鎮魂でもありうる。そう読んだ時にマルケスの打算なき至純の愛を感じたわけです。 短編でありながら長編以上の圧倒的感動を持っています。それは小説家でありながら、詩を描いたからかもしれません。 これは現代の類まれな叙事詩です。マルケス文学の「世界」との対峙ぶり、見事です。また、76歳の元娼婦マリアのイメージは「わが悲しき娼婦たちの思い出」のローサ・カパルカスの原型にもなりうる。 しかし、やはりこの短編の特徴、いや、その位置については前のあらすじに触れたように、マリアはその弾圧された側、いとも簡単に公安によって射殺され、墓には名前を刻むことさえ許されない独立運動側に立っている。 この作品は1979年5月に完成している。 1975年独裁者フランコが死に、19 78年新憲法発布。 因みにマリアは78歳であった。 新憲法に基づくカタルーニャ自治憲章が成立し、カタルーニャ州が独立に近い体制となったことを併せ考えると、ジャーナリストとして、また、パブロ・ネルーダ(1973年死去)の盟友であるマルケスがその事態に反応することは自然である。 すなわち、この作品はマリアに仮託したカタルーニャ自治政府への祝福の短編であろう。< そのときになって、、かくも長く、何年も何年も待ち続けて、それがたとえ、この一瞬を生きるためだけだったにせよ、暗闇の中であれほど苦しんだ甲斐があったことを知った>マリアは人生初めての「悦楽」に浸る資格を与えられたのである。いま、またカタルーニャの完全独立運動がスコットランド独立運動に連動して激しくなっている。弾圧されてきた民族が独立を求めるのは当然である。沖縄の人たちはどう受け止めるだろう。http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NBON856VDKHT01..マルケスが存命だったらと思うと無念である。 2 カタルーニャ自治政府が独立に向けて国民投票を実施し圧倒的多数で独立が支持された。これはカタルーニャの歴史を知れば当然の結果であるが、スペインは未だ植民地支配の根性を捨てきれずに弾圧し続けている。 この問題はスペイン同様のレベルであるイギリスにも波及する。北アイルランドを手放せない大英帝国はスコットランド独立問題を抱え、カタルーニャ独立を何としても阻止したいだろう。 すなわち、スペインやイギリスにとって民主主義がどれほどのものか試され続けているのだ。もちろん日本人には真の独立など程遠い。日本人はかつて朝鮮支配の折り、朝鮮語使用禁止としたがスペインもカタルーニャ語を使用禁止にした。独裁とはかくも残酷で愚かなのだ。 6年前に私はG.マルケスの短編『悦楽のマリア』への拙い感想文を書いたが、今回のカタルーニャ独立国民投票を知り、思い出したのでここに改めて残しておきたい。カタルーニャの見事な駆け引きを見せて貰った。 この独立宣言の後にカタルーニャの本当の外交的戦いが始まるが、スペイン政府の打つ手は限定された。 自由への戦い。長きに渡って弾圧され虐殺された多くの人々やその無念を秘めて生きてきた人々への精神的独立宣言でもある。泉下のそんな人々も溜飲を下げているだろう。もちろん、ガルシア・マルケスも泉下で祝福ていることだろう。 対米従属の日本政府の対応?見たくもない。 立派な民主主義憲法を持ちながら、ジリジリと抑圧されても無関心な民族に自由はない。所詮コジキ根性。自由もお貰い。人心が荒廃すれば国は滅ぶが、都においてさえ「家の中で禁煙」などという馬鹿げ切ったスローガンを出す知事が誕生できる。施設には指導員の数が不足している一方で、莫大な予算を浪費するオリンピックの狂騒曲が正月にテレビに演出されるだろう。ポピュリズムは極まりつつある。 しかし、他国に於いて、希望という言葉が似合う国もある。それがカタルーニャである。予想通り、プチデモン首相とその盟友は巧みな駆け引きを続けている。その動向はネットでしか私は読めないが、記事の中で、元産経新聞で今はイギリス在住の「国際ジャーナリスト」と自称する男の記事が出ていた。さすが元産経新聞で首相らを「逃亡」と表現していたが、たくまずして己が権力の太鼓持ちである事をバラしたようなものである。 「逃亡」とは、スペイン政府の目線である。プチデモン首相らは「逃亡」したのではない。プチデモン首相側から見ればスペインの政治的弾圧から避難したのだ。言葉の使い方も知らぬ男が国際ジャーナリストとは噴飯ものであるが、恐らく日本人はその程度でもあるのだろう。軽蔑される事も知らずカネの話題に収斂させて得々とする。私とは関係ない話?遥かに遠いカタルーニャなどどうでも良い、か。では、お聞きしたい。そう言うあなたに関係のある話とは何か。 3そう、カタルーニャ。まだまだその抵抗精神は続く。バカな日本人がその独立運動をけなしているが、最近、スコットランドに渡っていた教育相クララ・ポンサチ教授が出頭したらしい。https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20180329-00083280/ 「スコットランド国民党の国会議員で、ロンドンのウエストミンスター議会におけるリーダー、イアン・ブラックフォードは、もう英国のスペイン大使に「この問題について、大至急話し合いをしたい」と、手紙を送ってしまった。手紙はこう始まっていたという。「カタルーニャの独立支持の政治家を追跡する一環として、スコットランドで尊敬されている学者である元大臣が、反逆罪の罪状に直面していることは、ひどく残念です。そのような罪状は、スコットランドの法律では認められておりません」 」 いいですねえ。日本では殆ど死語である「尊敬」という言葉が生きている。相手がこんな表情を持つ女性だからかな。表情は全てを伝える。花のある(華ではない)表情とは、このようなものだ。 この文の日本人筆者は「カオス」と婉曲的に表現しているが、今回のカタルーニャ独立闘争は囲碁将棋のようなもの。如何に詰むか。実はスペイン政府が日本政府の真似をしたかどうか知らぬが、初手で、逆らう「国民」に武力弾圧をやってしまった。EUの建前である「民主主義」の中で。ドイツに拘束されたプチデモン首相は鬼の腹の中に飛び込んだ一寸法師のようなものであろう。背に腹は買えず、腹は身の内。スコットランドのイアン・ブラックフォードは「そのような罪状は、スコットランドの法律では認められておりません」と早々と宣言した。先手必勝の構図であろう。 欧州一、いや世界でも最強の女性アンゲラ・メルケル首相はプチデモン首相だけでなく大変な女性を抱え込む事になる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上3つを書いてきたが、そのカタルーニャ独立問題では、ドイツに拘束されていたプチデモン前州首相が釈放された。弾圧側のラホイ、スペイン首相は汚職や偽造で退任し、カタルーニャ政府は自治権を再び獲得している。カタルーニャの独立はまだまだ紆余曲折があるだろうが、G・マルケス存命なら喜んでいるに違いない。