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いまさら安部夫妻の愚をあげつらっても仕方がないが、安部首相は無知蒙昧の恥を国益毀損してまで晒す。もちろんこの男は「国益」=「自分の権力」でしかないので、世界の嘲笑などロバの耳には入らぬ。自国民さえ己を支持するように仕向ければこの民主主義日本国はわが物となる。
さて掲題の短歌の暴力性についてであるが、ご存じのように安部首相は今通常国会の施政方針演説で明治天皇が詠んだ短歌を引用した。
しきしまの 大和心のをゝしさは
ことある時ぞ あらはれにける
もちろん日露戦争時の歌である背景を考えれば国民を戦争という「ことあるとき」への鼓舞と理解するのが当然であろう。
とにかく戦前(と言ってもせいぜい維新から)の体制に日本を戻し絶対権力を持ちたい安部(夫婦)首相らが、その率直な思いをこの明治天皇の歌の引用に込めたのは明らかである。
しかしまあ単純思考、いったい世界中どの国がこんな日本政府の有様を尊敬するのか訊きたいものである。商売だけでなく外交上信用とはまず一番の価値である。それを無神経に毀損して憚らぬ政府であるが、つまるところ、それは国内日本人洗脳の道具という認識であろう。無知な国民をそそのかすには分かりやすい「歌」が一番である。
国が「君が代」や「日の丸」を敗戦後も死守してきた理由である。因みに国璽も戦前のもの「大日本國璽」をそのまま使用している。
なにも安倍一派だけが先祖返りしたいわけではない。敗戦後一貫してその政治的流れが続いているわけだ。
さて、短歌というものないし文芸というものも国民洗脳には利用されてきた。
俳句では難しい。短歌は抒情性露出が明快に出せるからである。抒情性に訴えるという短歌の本質が、権力利用の場では、即、それは暴力性を裏に持ったものとなる。短歌において最も警戒せねばならぬ所以である。
そもそも安部一派も維新が大好きだが、その維新とはその後の大日本帝国の破滅、国土焦土、600万人を超える死者、1000万をこえるアジアの死者を生じせしめたスタートラインであるのも自明である。また、明治は日清日露戦争の渦中に朝鮮併合を成し遂げたが、その際に反封建反侵略を掲げた甲午農民戦争(東学党の乱と高校で知ったが、この表記では単なる党派争いと読ませられる)に大日本帝国が介入していった。以下拙文引用。
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「第6章 朝鮮ジェノサイドー四国
皆殺し命令『忘却された支配―日本のなかの植民地朝鮮』3 - pakin’s blog