2019-02-22 カミュ『ペスト』メモ5 宮澤賢治 ・ P248 「しかし、自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかも知れないんです」 ランベール 4月16日から市民を襲い始めたペストは9月も猛威を振るっていたが、記者ランベールは市外への脱出ができないまま、医師リウーに付き添い精力的に働いていた。まだ新妻との再会を夢見ながらであったが、とうとう、こんなセリフを吐いたのだった。 リウーもタル―もランベールが市から脱出して自分の幸福を得るのは当然なことと励ましていたのだった。ランベールは彼らを見ながら自分のこんな新しい思想に気づいたのだった。 「しかし、自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかも知れないんです」 このランベールの言葉と下の言葉は同じ思想であるといってよい。 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 宮沢賢治が1926年に書いた芸術論『農民芸術概論綱要』の一文である。 カミュに先立つこと21年前に宮澤賢治は同じ思想を宣言していたのである。 ************************** 農民芸術概論綱要 序論 ……われらはいっしょにこれから何を論ずるか…… おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらいもっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたいわれらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化するこの方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことであるわれらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である 中略 結論 ……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である…… われらの前途は輝きながら嶮峻である嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる詩人は苦痛をも享楽する永久の未完成これ完成である 理解を了へばわれらは斯る論をも棄つる畢竟ここには宮沢賢治一九二六年のその考があるのみである ************************* 1926年、賢治30歳。死の7年前の宣言であった。カミュの『ペスト』の20年前である。 この二人の抱いた思想は果たして理想主義か。日本人流に皮肉れば「青いな」ってとこだろう。自分さえよければ良いのだから他人なぞ眼中にない。小学生が何人自殺しようが、登校拒否が何人増えようが一向に考えない。 自分の個人的幸福ということはあり得るのか。 リウーは道徳についてタル―から尋ねられ 「理解することです」と答えた。 個人的幸福について「理解」を進めたランベールであったと私は読む。すでに個人的幸福という世界から外れたリウーとタル―を理解したのだった。 もし、あなたに子どもがいて、その子が不幸に陥りそうな姿を見たとき、あなたは自分の個人的幸福など忘れ去るだろう。 更に、その子が、他人でありながら目の前に不幸を晒していたら忸怩たる思いに駆られるであろう。 では、そのような子どもたちが直接には見えないところに居たら・・・見えないから平気となるであろうか。 理解とはそんな意味で個人的幸福感を破壊するのである。