pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

立夏と猫と鼠とシジュウカラ

今日は立夏である。

暦上で立秋までの間は夏となる。
この「立つ」は拙文『和歌の愉しみ』において引用させて頂いた「三夕の歌」で桑子敏夫さんがご説明になったように、その意味は「出現する」という意味がある。「気配」の意味もある。従って、立夏は夏という季節が気配と共に立ち現れるという事だ。

立夏は五日の節句の翌日で目立たないが、たしかに夏めいた気配はあちこちに現れる。

麦秋の候、すなわち初夏でもある。
足利から帰宅途中にまだ青々とした麦の穂が波打つ景色を見た。
美しいものである。
『麦の穂を揺らす風』というアイルランド独立の映画を思い出した。小津の方は観ていない。

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連休といってもこちら年金暮らしの年中連休。子どもらか来るくらいで特段の変化もないが、今年は天皇即位とか世間は騒がしかったらしい。アベは皇室の政治利用に執念を燃やしている。まことに「ウザったい」騒動であるらしい。


我が家で騒がしかったと言えば、即位の日の暁時、寝ていたらベランダでハチが入れてくれと鳴いていた。
窓を開けると飛び込んで来たが、何か咥えている。こいつは以前も鳥を咥えて来た事があった。鳥は死んでいた。ショック死である。ハチとしては自分の手柄を見せたくて来るので怒るわけにもいかない。

ハチは寝室の床に咥えていたものを落とした。
落とされたものはサササ〜と物陰に隠れたが、鼠であった。


鼠はもうだいぶ昔に一匹部屋に居たのをベランダに追い出したことがあるくらいで、以来姿を見ることはなかった。

ハチは夢中で探したが、物陰から飛び出した鼠を捕まえたのはモン太郎だった。
モン太郎は鼠を咥えたまま階下へ降りて行った。玄関はもちろん閉じている。
モン太郎の前に立ちはだかった私を見てモン太郎は低く唸り声を上げた。怒っている。

こんなモン太郎の唸り声は初めてである。
モン太郎は玄関から出るのを諦めたのだろう。再び二階に駆け上がって、開いている寝室の窓からベランダへ飛び出して行った。
ハチは呆気に取られている。
モン太郎は二階から出る途中、鼠を2度落とした。鼠は動いてなかった。死んでいたか気絶していたのかは分からぬ。つまりモン太郎は鼠の生死を確かめながら外に飛び出したのだ。ゴキブリも死んだふりをする。

翌日、鼠が死んでいるかも知れないとその痕跡を庭中探したがなかった。モン太郎が鼠を食べる事はハチ同様に基本的に無いだろう。いつも食欲は満たされている。仮に食べたとしたら何らかの症状が出るはずだが、現在まで変化なし。

つまり食べてないという結論を出した。モン太郎は鼠を外に逃したのだ。ハチは自分の獲物として自慢しに来た。それをモン太郎は逃したのだった。全く、猫たちもいろいろである。そういえば、これも昔、トムとジェリーというアニメで猫と鼠のコンビを描いたものがあったが、実際、仲良くなる事もある。

余談だが、私の子供の頃は鼠は普通に身近に暮らしていたが嫌われ者であった。天井裏で運動会をやらかし、たまに青大将に追いかけられていた。件の『ペスト』でもペストを運ぶ鼠として忌み嫌われていたが、よく観察すると結構かわいい顔である。同種で殺し合い、動植物を絶滅させ、絶滅危惧種を大量に生み出す人間よりは遥かにマシな動物である。

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今朝庭にてるとシジュウカラが激しく鳴いていた。門柱の上の狸の置物が地面に落ちていたのだ。草地の柔らかい所に落ちたので信楽焼の狸は無事だった。しかしハチが嗅ぎ回っている。慌てて門柱の上に戻したが、中の雛たちが無事か、親鳥は変わらず子育てするだろうか不安だったが、大丈夫だった。
親鳥は始め一時間程は厳しい警戒をしながら餌を運んでいたが、午後に見ると普段通りの軽やかさでせっせと餌やりを頑張っていた。彼らは日中、殆ど休むことなく餌を与えに飛び回っている。


黄昏時、他の鳥たちもみな一斉に囀りを止めて眠りに入った。

立夏、まだ朝夕は肌寒い。


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