pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

堀辰雄文学記念館 野いばら講座

堀辰雄文学記念館          5月26日(日)
堀辰雄『大和路・信濃路』に受け継がれるマルセル・プルーストの美学」
         高橋 梓 氏(近畿大学法学部講師)


標高千メートルの高原に涼を頼りに日帰りで行ってきたが残念ながら彼の地も歩き回る私には暑く気温は30度を優に超えていた。

信濃追分駅の着いた時は昼に近く、歩いて10数分の蕎麦屋に入った。信州蕎麦・・・残念ながら当たりは余りない。今回もハズレであった。別荘族と思しき客たちで賑わっていたが。
口直しに自家焙煎を謳う小さなジャズカフェに入った。珈琲はまあまあ。スピーカ―は年代物だが素晴らしい音質だった。

講演開始ギリギリに堀辰雄文学記念館に着いたら定員50名のほぼ満席の状態で演壇前の席に着くしかなかった。やはり年配が多いが若い人もいた。

野いばら講座という名を冠したのは、おそらく堀辰雄の同名の詩によるものだろう。昭和8年の「短歌と批評」10月号に掲載された。

 

      
        野いばら

散歩の時には
いつも僕の着ることにしてゐる
スウエタアのちやうど腕のところに、
いつの日からか、
小さな綻びが出来て
それが日増にこんなにも大きくなって来ました。

さうして僕はやつといま思い出すのです、
この間僕がべルヴェデエル・ヒルを散歩してゐた折りのこと、
その小さな枝が白い花を一ぱいつけてゐた時分は
あんなにもそれを愛してゐた癖に、
既にそれらの花を失ったその折りはもう、
ついにそれに氣もつかないでその傍らを通り抜けようとした僕を
あたかも責めるかのやうに
そのかよわさうな棘で僕の腕を捕まへたきり離そさうとはしなかった
一本の野いばらの木があつたのを。
                 (軽井澤のたより)


このような経験が誰しにも起こるものである。
その「小さな綻び」が出来て「それが日増にこんなにも大きくなって来ました」と気づくかどうかは別にして。

わざわざこの詩を引用したのは、単に講座名の由来を推理するためだけではない。
堀辰雄の隠喩について私は長年理解不明のままほったらかしてきたことが思い出されたからだ。
随分昔の話で恐縮なのだが、私が大学の卒論に選んだのが堀辰雄だった。それは以前触れたことがあったが、若気の至り、ナントか蛇に怖じずの喩えそのままであった。加えて指導教官は学外から来てらっしゃった高田瑞穂先生だった。先生は成城大学教授で、一度成城大学にも呼ばれて紹介頂いたことなど思い出す。勿論汗顔赤面の思い出である。その高田先生の御著に堀辰雄の作品『風立ちぬ』に出てくる「灌木」の喩えを問いかける一文があったのだが、当時の私はそこまで読み解く余裕などさらさら持ち合わせずに、先生にもお訊ねすることもできずにいたのだった。

その問いかけ「灌木は果たしてただの木のことだろうか」はその後現在に至るまで、不意に心の奥底から浮かび出てくることもあったが、浮かんでは消えるだけで済ましていた。

灌木・・・高橋梓先生のご講演のレジュメにも灌木の一語が出てきたのである。それは『美しき村』からの抜き書きであった。

「私は毎日のやうに、そのどんな隅々までもよく知っている筈だった村のさまざまな方へ散歩しに行った。しかし何処へ行っても、何物かが付け加へられ、何物かが欠けてゐるように私には見えた。その癖、どの道の上でも、私の見たことのない新しい別荘の陰に、一むれの灌木が、私の忘れてゐた少年時の一部分のやうに、私を待ち伏せてゐた。そうしてそれらの一むれの灌木そっくりにこんがらがったまま、それらの少年時の愉しい思ひ出も、悲しい思ひ出も私に蘇って来るのだった。」


高橋梓先生はご専門のプルースト堀辰雄比較文学でお話になって「フローラとフォーナ」すなわち両者ともに「花」そして「匂い」への志向があることを説いてらっしゃった。それは分かったつもりでいながら、やはり見過ごしていた。

堀辰雄の「続プルースト雑記」に

「プルウストがそれまでの私の内部に奥深く眠ってゐたものを少しづつ呼び醒ました」

と言うものとは

「一瞬の感覚から、すぐその場で、何か永久性のある精神的なもの(これこそ本当の現実なのでありますが)を引き出さうとする困難な仕事、その仕事に参加する夥しい数の記憶のこんがらかった現はれでありますが、―もう一つ、その出発点となってゐる、感覚そのものの豊富さに依ると言わなければなりません」

である。つまり日常の暮らしに経験する「花」や「匂い」などの「感覚的」なものなどが、ある瞬間に人の「内部に奥深く眠ってゐたものを少しづつ呼び醒ま」す契機として描かれていったのである。そして「これこそ本当の現実なのでありますが」という認識を導いているのだ。

本当の現実・・・私が高校で初めて堀辰雄の『風立ちぬ』を読んだときの何とも言えぬ感動は、その「私」と「節子」の生と死を巡る「本当の現実」を感じたからに他ならないのだが、そのリアリティーは、プルーストの影響を同時代的に吸収したところにあったのである。

風立ちぬ』に於ける「灌木」も「夥しい数の記憶のこんがらかった現はれ」としての表徴であり、「私」の引きずってきた人生の表徴であった。と、全くもって不出来な学生であった私は高田瑞穂先生の問いかけにようやく自分なりの答えを見出したわけである。これが正解かどうかはわからない。「正解」のないのが文学の優れた本質であると詭弁を弄しての自己満足にすぎないが、これで積年の曇りが晴れたわけである。

堀辰雄は英独仏の語学力を駆使して同時代のそれらの国の文学を吸収し、独自の文学を造形した。堀辰雄を真に深く理解するにはそれらの原書に当たらねばならないが、私には不可能である。せいぜいが堀辰雄の作品を楽しく享受するのみである。フランス語専門の高橋梓先生でさえ堀辰雄プルースト理解に舌を巻くのであるから。

そうそう、プルースト関連で堀の「樹下」という作品が出てきた。堀が信濃追分の暮らしの中で愛した石仏を描いたものだ。


「—さう、いまのいままでそれに気がつかなかったのは、いや、気がついてゐてもそれを何とも思はずにゐたのは随分迂闊だが、あそこは何かの大きな樹の下だったにちがひない。-すこし離れてみなければ、それが何んの樹だかも分からないほどの大きな樹だったのだ。あの頬杖をしてゐる小さな石仏のうへにちらちらしてゐた木漏れ日も、よほど高いところから好い工合に落ちてきてゐたので、あんなに私を夢み心地にさせたのだろう。」

奈良の大仏ではなく、信濃追分の小さな石仏に心を寄せた美意識であるが、この「樹下」のタイトルの意味は何か。写真をご覧いただければ石仏の上に「大きな樹」などはない。思うに堀辰雄はその小さな素朴な石仏に仏陀を見たのだ。


高橋先生はマルセル・プルースト堀辰雄の共通点として「狭量の個別文化を超える普遍的文化の特性」を挙げられた。その一つ「無垢な祈り」、二つ「習慣ー人とのかかわり」、三つ「国家が与える価値からの脱却」をご指摘なされた。すべて同意する。

冒頭に挙げた『野いばら』、今まで読んできた理解に沿えば、また新しい発見ができそうである。

 


写真 追分の石仏

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