pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

歌誌投稿歌

 

1 午後4:45暗く汚れた通勤路人ごみの脇ホームレス蹲る

2 午前0:27救急に運ばれし泥酔の女子手当する若き看護士

3 午前3:43オリオン輝く空の下ベッドを巡る介護士の影

4 午前8:30扉を開けて帰途に就く光風清浄刃のひじり

以上の構成歌は3年前に私が初めて病院の事務当直としてバイトをした時のものである。夜間の救急対応や救急車対応などにあたったが、私たちの暮らし就中老後の有様などを理解するに大いに役立った。まさに人生の縮図があったが、上記の歌はそのごく一部の様相を描こうとしたものである。
夜勤、しかも人命を預かる夜勤である。その中で看護士や介護士が目を充血させながら働いていた。夜勤経験者ならそれがどれほど過酷な勤務か分かるだろう。そのような人々を私たちの作る社会は「使い捨て」で、報いることがない。おそろしく愧ずべきことである。第4首の「光風清浄刃のひじり」はもちろん比喩。真冬の朝、薄汚い都会の空気もこの時は澄む。「刃のひじり」はご自由にお読みください。

 

5 さざなみの寄せては返す春の浜黒き瞳のまぶしきを知る

6 雪洞に思ひかさねて歩むかな弥生の宵の花の下道

この2首、昔語り。


7 碌山の美術館立つ背後には常念岳の聳ゆるをみゆ

8 後ろ手に空を見上げし裸女ひとり碌山の愛とこしへなり

9 LOVE IS ART,STRUGGLE IS BEAUTY碌山の意思刻まれる美術館なり

私にとっては安曇野と言えば碌山美術館。「LOVE IS ART,STRUGGLE IS BEAUTY」は碌山の言葉として碑に刻まれている。「愛が芸術となり、苦闘が美となる」でいいかな。逆に「芸術は愛であり美は苦闘である」と読んでも良いか。私は明治を「坂の上の崖っぷちから雲をつかもうとして転落、昭和の大破滅を準備した時代」と観ている。維新などという出鱈目をよく教え込んだものだ。しかし、美術に於いては碌山を生んだ明治はそれだけだが意味がある。

 

     エドガー・アラン・ポー「大鴉」に寄せて
10 Nevermore 夢のまたゆめ夢のゆめ見果てぬ夢のゆめのごとくに

ポーの「大鴉」の読後感。


11 オルフェウスかすかに聞こゆ木立よりグレイに沈む奥武蔵の里

今の日常。

12 思ふのは幼き日々のすすき川さらさら流れ揺れし月かげ

幼き日の幻想。

13 赤鬼は青鬼消えて泣きました黄金の稲の波につつまれ

昔・・・こんな優しい世界があったのが救いです。

 

14 老媼はおはかにひなんしますと縊死南相馬市3・11

「おはかにひなんします」という遺書を置いて首をくくった老婆の話。被害者への残忍な仕置きは今も変わらず、「なかったことに」。つくづく恥ずかしい国に住んでいる。
  

友へ
15 鯉幟立てる如くに意気揚げよ人生いまだ終わらずに在り

これはエール。

 

以上15首送りました。
今回はどれが削除されるか、お暇な方は予想してください。全部正解の方には巴琴を「家政夫のPakin」として無料派遣します^^