電車にて席をどうぞと勧められたから六月二十日は老人記念日
巴琴
普段は自分を振り返らないので歳も自覚出来ないボンクラ老人であるが、こんな時には否応なしに自覚を迫られる。
今までは逆の立場で常に席を空けていたが、もはや席を空けられる身。
しかし、今日、勧めてくれた中年男性はスマートに席を空けてくれて、私も自然に着座していた。
よる年波には抗しがたいのう。
なに言ってんだ。70近くになって!
尤も、私には昔からファション感覚もない。
学生時代には年寄りくさいと嘲笑われていたが…
それでもファションなど考えたこともなく過ごしてきた。
それでも彼女がてきたり何の不便もなかったのである。
大体、ファションだなんだと言うヤツにろくなのは居なかったという現実もあった。軽佻浮薄の女たらし。
ファションにはギターも入っていたな。なんちゃってフォークギター。
ギターか…
うちの下の息子2人もピアノからギターに転向したが、こいつらはヘビメタに走ったが、親の前で演奏したことがない。いつの間にか「常識」ぶったサラリーマン。
今日の服装も20年前のやつだから、理屈上は20年若く見えるはずたが。
な分けないか!
やれやれ。
という話ではなく、今日は誕生日という事で池袋で祝ってくれるという話。
池袋芸術劇場。
あ、つまりは同じ。
誕生日冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
というと、根性の歪んだジジイだな!と罵倒され、素直に受けると舐められて。つまりは老人は偏屈になる運命なのだよ。
と、書きつつ、書き終えたらすぐ歳を忘れてまたバカやるのだな、間違いない。
いや、この忘れるというのも近年トミに酷い。もともと忘れっぽいのに拍車がかかり、認知症だと言われそうだ。なに、最期は全て忘れるのさ。
そう、最期と言えば、あの自殺未遂マニアのノイローゼ太宰治が6月13日 が山崎富栄と玉川上水の急流にて入水心中、38歳で死去、とある。
しかし、玉川上水?あんな所で溺死?
不審である。
不審であるが、『グッド・バイ』か。笑い話で締める太宰の最期も立派なものだ。
桜桃胸の谷間に忘れけり 巴琴