pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

『アラモ』と『海辺の生と死』


映画は子供の頃から好きであった。
小学3年までは大阪の住んでいた町内会主催か覚えてないが、近くの空き地でスクリーンを広げた移動映写会が行われていた。モノトーンの白銀の山を覚えている。

郷里に戻ってからは学校の映画鑑賞くらいだったが、『風の又三郎』など印象的であった。ドッドド〜の歌。

さて、表題の『アラモ』、映画館で観た。何せ子供。ジョン・ウェィン、カッコいい〜くらいだったか。歴史も何も知らず。あの犠牲的精神と強さに憧れる部分があった。
戦争物は大概そんな作りである。
あの『永遠のゼロ』なんてのは文章自体が幼稚だが、あれで「英霊」なんて言われた日には「英霊」はもう一度死にたくなる。「こんな馬鹿げた国を作るために我々は死んだのか…」と。

もちろん『アラモ』はアメリカの共和制バンザイの精神で、後年史実を理解したが、当時のメキシコの非常な政治的混乱腐敗とその複雑さの中に起きた悲劇であった。

昨夜パソコンで『海辺の生と死』を観た。島尾敏雄の妻のミホ原作。加計呂麻島という美しい海を持つ島で、彼女が島尾敏雄と出会う話だ。南国の少女の一途さ情熱的な姿が描かれているが、島尾敏雄は特攻兵器「震洋」乗組員という立場だ。
その「震洋」はベニヤ板を貼り付けた小船に爆薬を載せ敵艦に体当たりという、「爆弾3勇士」精神のママ。どう見ても気違いの作らせた産物で、帝大の男ならずとも唖然とする代物だ。
昼は敵艦に見つかるけら夜間出撃というのも笑える。

出撃間近に敗戦となる。その後の島尾夫妻の修羅場は『死の棘』に詳しいので修羅場物が好きな方は面白いかも知れない。

しかし、敗戦後、直ちにが政府が実施したのは迫りくる進駐軍相手の慰安所作りだった。この時は朝鮮半島の婦女子を連れてくる訳にいかず、日本人の貧しい婦女子を米兵にあてがった。この変り身の速さたるや見事。安倍の祖父も絡んでるかも知れない。

島尾もベニヤ板特攻兵器で犬死せず、幸運だった訳だ。


でもって、進駐軍占領政策を始めると「浮浪児狩り」が始まる。一部の「高級」国民以外餓えていた時代、大量の引揚げ者が戻ってきた時代。しかし「浮浪児狩り」とは何たる言い草かと呆れ果てる。野坂昭如の『火垂るの墓』そのものだが、実は日本人の残忍な為政者の姿だと見なければならない。
そう見ればベニヤ板特攻兵器も諒解できるのである。


あれ?
また話がずれた。
ジョン、ウェィンの『アラモ』。
そう、子供心に「自己犠牲と勇気」の感動を与えられた訳だが、そのレベルで大人になれば、やはり危ない。教育の恐ろしさである。無知のままの勇気は蛮勇と呼ぶ。悪用されて終わり。


しかし…蛮勇…
喧嘩ばかりしていた現役時代…蛮勇とは私の事だったか…
ただし、私の弟3人も喧嘩っ早い連中だったから、これは血筋。


最後に『アラモ』のテーマ曲『グリーンリーブスオブサマー」もまた後年その訳を知った。歌詞も美しい。

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