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昨日句会。
もみじ葉の散り敷く上に猫あくび
夢はまださまよふてあり枯野かな
以上投句。
二句目は余りにも有名な芭蕉の辞世句と呼ばれているものから連想したものだが、こんな使い方も新鮮に受け止めていただいた。
なにせ宗匠が以前すでに辞世句を詠むべきだと冗談交じりに仰ったので、それではと出した。といっても実は句会直前大慌てで句作したが、思いつかずに過去の句を出したのであるが内緒^^
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
「この「夢」ってどんな夢でしょうね」
「旅だと思います」
即座に回答がでた。
飽くなき旅ー漂泊ーへの思い。
そんな芭蕉の思いの根源にあるものは・・・
それは質問しなかった。
私はそれは芭蕉が憧れ続けた西行であると思う。
旅の西行であった。
西行は三夕の歌の境地を開いた。
心なき身にもあはれはしられけり鴫立つ沢の秋の夕暮
西行
三夕については以前まとめたので説明は省くが、この歌の趣意は後々に芭蕉が表現に至った「わび」「さび」の境地だろう。
そしてそれは「旅」に存在したのだった。
では、その旅とは何か。
全感覚を研ぎ澄ますことである。
なんとも圧倒的なスケールをもつ美しさ。
しかし、芭蕉はただ景を詠んだのではないと思う。
百敷や古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり
順徳院
佐渡は流刑地であった。
順徳院の他、日蓮も世阿弥も流された。
荒海に隔てられた島、佐渡を遠く見晴るかす芭蕉の目に彼らが映らなかったはずはない。そんな悲劇の島を天の川が光り輝き包んでいる・・・そしてそれは芭蕉の心に映じた句であるという(曾良日記)。
旅は芭蕉にとってその俳句的観念的世界を研ぎ澄ますことであったのだと思う。いにしえの文芸とともに。
「で、巴琴さんの句意は?」
「はあ、芭蕉の名句への敬意として夢と枯野を使わせてもらいましたが、勿論粗忽未熟な私、思いは最期まで彷徨うということです。最後まで彷徨っていたいとも思います」
「かな、はどんな意味で?」
「詠嘆です」
・写真 詠嘆もどこ吹く風のニャンコたち^^