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吉野西行庵を望む
今日、2月16日が西行の命日であるが、15日即ち昨日を西行忌とするのは、如月の望月、即ち2月15日が釈迦入滅の日であるからである。
西行の願いを汲んでの人々の西行忌であるから、その思いは大事だ。
願はくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月の頃
しかし西行は釈迦入滅の日の死にたいと願ったのではなく、その「頃」に死にたいと願ったいる。
したがって後世の人々が西行の最期の願いを思い図り西行忌を定めたのは、私にはやや忖度し過ぎの感を抱かざるを得ない。幾ら西行が生涯を仏道に捧げた歌人だとはいえ、仏陀と同日の日を選ぶのは…敬虔な仏教徒西行にはあり得ない心境ではないのか。
と、これは私の忖度である。
さて、その歌、花と月。
桜花であり天空の月であるという、実景と共に、花も月も西行にとっては仏道の世界の表象であるという桑子さんの視点は以前述べたように忘れてはならない。
近代の俳人が西行を敬して遠ざけたのは、そんな読みができなかったからである。言葉の表層でしか読まなかった。正岡子規も小林秀雄らも。
残念ながら昨日も今日も曇り時々雨の天候。先程外に出たら霧が流れていた。街灯の灯りの下、静かに木々を濡らしている。
如月の望月見えぬ宵闇に霧の流るるうるほすがごと
花を待つ人やあらんか如月のはや梅や咲き椿開けり
百済寺麓より