李船長はもじゃもじゃのお髭で鍾馗さまのようなお顔なのですが目が優しいので怖くはありません。「髭船長だ!」と、先ほども子どもがじゃれついてくると肩にひょいと乗せて船内を歩いていらっしゃいました。蔡さまの言う通り船員さんたちも優しいのでした。周さんが、この子たちは福原の宋人町でみなから愛されているのですよと仰いましたが、大輪田泊に来港する船員さんたちも同じなのでした。
周さんのお話によると、船員さんたちは寄港してしばらく停泊する間に文徳さまのお店で子どもたちと知り合いになるのでした。「ファンイン!」いらっしゃいという意味らしいですが、それをこどもたちに、ましてや菊丸にまで笑顔で言われたら、それは誰でも嬉しくなります。「幸せな店」それが文徳さまのお店への船員さんたちの呼び名だそうです。私もそれを聞いて嬉しくなります。
午後、お昼を周さんに運んでいただきました。点心という料理で船の料理長と文徳さまがお作りになったそうです。おしゃれで美味しいこと、つわぶきも、このお料理のお名前は?とかきゃあきゃあ騒ぎながら食べています。窓から吹き込む潮風と光に満たされた部屋で・・・
食事のあと、休んでいると船員さんたちが甲板に子どもを集めています。蔡さまのご指示です。私たち一行にも呼び声がかかりました。左舷側に来てごらん。よく見てなさいよ、と蔡さまが指をさす海を眺めていると海面から大きな魚が背びれで波を切りながら何匹も泳いでいます。そしてその群れは次第に船に近づいてとうとう真下にまで来ました。数十匹はいるようです。競さまや仲光さま清親さまは子どもを肩車しています。
「あれはね、入鹿という名前なんだよ。お魚みたいだがちょっと違う。なにせお乳を飲んで育つからのう。だからお魚なら何匹とか数えるが入鹿には何頭と数える。航海していると入鹿たちがこうして遊びに来るんだよ」蔡さまが教えてくれます。
「え~~お乳飲むの~~」子どもたちもびっくりしています。
もう子どもたちは大喜びで入鹿に声をかけたり手を振ったりです。入鹿たちも子どもたちの歓声や言葉が聞こえるのでしょう。跳躍を見せたり蛇行したりと楽しそうです。入鹿の顔も笑っているようです。跳躍し、尾ひれを海面に叩きつけるとしぶきがかかって子どもたちはやんやの喝采をあげます。
「話には聞いておったが、入鹿がこのような振る舞いをするとはな。驚いた」と兼綱さまがおっしゃいます。
「我らも中海を渡るのは初めてでのう。なんとも海とは爽快じゃ、のう康忠」康忠さまも頷いては入鹿に見入っています。
帆柱に登っていた船員さんが「右三十度、一里」と船長さんに大声で伝えます。「面舵~~三十度~」の号令で舵をきります。帆綱担当の船員さんも帆綱をたぐり船は回頭していきます。しばらく進んでいくと水面に大きな飛沫が噴水のように高く飛んでいます。
「わあ~~~」
子どもたちの大歓声がまた響き渡ります。
「あれは鯨だ!」と清親さまが大声で子どもたちに教えます。
「大きい~~~」
鯨は悠然とその巨体を現します。一〇丈はあろうかという大きさ・・・
「王様だあ~~」と猿丸かしら叫びました。
「海の王様だあ~~~」子どもたちは口々に叫びます。なるほど海の王様、そうですね。船員さんたちはにこにこしながら子どもたちを見守ります。
「小侍従様、文徳一家を招待して大正解ですなあ」と兼綱さまが仰います。「我々もまた得難い体験です。この最新鋭の宋船といいこの海の姿といい」
まことに同感です。
船は鯨に並走します。
「わああ~~~」
鯨が跳躍して身を翻したのです。大きな波が船を揺らし飛沫も船の中にまで来ました。