2015-08-07 寂光院・大原 寂光院・大原 (改稿再掲) 10月30日大原 10時20分京都着。 11時半大原着。 昔の記憶など殆ど残っていない。雪の寂光院を歩いた記憶だけが眩しく残っている。 標識を頼りに寂光院を目指す。 この道は土産物屋が少なくていい。 私の他に歩いている人は一人二人、静かなみちである。 昨夜来の雨がここでは時折ぱらつく程度である。 雨のおかげで道も山も空気もみずみずしい。 雨に濡れた石は特によい。 コスモスの畑が点在するなかを歩く。 写生にいそしむ男女数人路傍のあちこちに居場所を構えて黙々と筆を走らせている。 秋晴れの澄み切った光景もいいが、雨に洗われた沈んだグレイやグリーンの階調のなかに柿の実の赤い色が置いてあるのもいい。 寂光院は2000年5月放火によって本堂から出火し全焼、地蔵菩薩立像も焼損した。 たまたま秋の公開により拝観できたが、炭化した姿は痛ましい限りである。 寂光院は私には建礼門院徳子が平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、この地に侍女たちとともに閑居して終生を過ごされた地として感慨深い。 この当時の都からは僻遠の山里の地に「六道」を生きた建礼門院は平家物語灌頂巻において永遠の「無常観」を表す。 思ひきやみ山のおくに住居して 雲居の月をよそに見むとは 建礼門院 後白河法皇という修羅の男の前で「六道」の人生を歩まざるを得なかった建礼門院とい一人の女性が1186年の春、そこにいた。 宝物殿に寄る。 建礼門院の髪によって刺繍されたという「南無阿彌陀仏名号」なるものにはなんとも言えぬ生々しさを覚えた。触れてみたいという衝動を何とか抑えた。 その後、建礼門院墓にお参りする。 誰もいない。有難いことである。 昼食をとって三千院へむかう。 こちらはやはり大勢(寂光院に比べては)の人だかりで賑わしい。 庭を歩いていると小さなお地蔵がいくつか苔の上にあそんでいる。 こっちのほうがいい。 シャッターを切った。 ぐるりと庭をめぐっていると私の後から来た若い女性がやはりそのお地蔵さんたちに気づいた。 ここで彼女が 「キャー!カッワイイ~~!♪」などと叫ぼうものならただの阿呆である。 「あっ」 と一声嬉しそうな小さな柔らかな(甲高い声ではいけない)声を上げた。 そしてシャッターを切った。よしよし。可愛い女性である。 一人旅のかわいい娘さんはいいね。 さすがに仏像は素晴らしいが一番感動したのは宝物殿にあった救世観音半伽像で、お顔もなんとも流麗な美しいすがたであった。 帰り際門の近くの楓が紅葉を始めていた。