2015-08-07 猫 ・ 行く年や猫うずくまる膝の上 漱石 漱石のことだから猫の俳句があるだろうと調べてみたら直ぐ上の句が出てきた。 猫好き漱石は周知の事。 ネコっかわいがり!という慣用表現があるだけに我が国の猫愛好家は多い。 我が家では子供らがそれぞれ好きなペットを飼っていた。 長男は魚類、長女は哺乳類、次男は爬虫類・両生類・鳥類、末男はそんな上のペットを見て育った。 子供らが長じ、最後は長女が小5でペット屋の前にダンボールに入れられていた子犬を抱いてきたポチ子であった。 愛くるしい限りの子犬。 捨てられていて可哀想と娘が言ったが、それは2番めの理屈。多分、その子犬と目があった途端に子犬と魂が共鳴してしまったのだ。しっかり胸に抱いて連れてきた。 ポチ子は17歳まで生きてくれた。 3年前の年の暮れの朝に静かに息を引き取った。 家族に十分過ぎる愛情を注いでくれた。 これで我が家のペット史は終わったかとある意味安堵もしたのだったが、再び受験生となって家に戻ってきた次男が猫を飼いたいと探し始めた。 そこで最初に我が家に来たのがナナだった。 元の飼い主さんが亡くなり保護されていたのだった。 次に来たのがハチである。 避難区域から保護されて我が家に来た時は生まれて4ヶ月ほどだった。 次にモンが同じ避難区域からやってきた。 最後に去年の暮れに来たのがミーである。 総勢4匹。 うちハチとモンは男で外遊びが必須である。 外に出さなければ発狂するだろう。 幸いここは山の上の団地で家の周囲の道も車は少ない。 ハチとモンは兄弟になった。 連れ立ってほうぼうを探検し、追いかけごっこやレスリングに興じている。 私が玄関ドアを開けると外遊びしていた2匹がニャンニャン飛んで来る。 更に、団地内の猫、ノラだろうと思うが餌目当てに、クロ2匹、白黒1匹、キジトラ1匹が訪れる。 その内、老いた白黒は皆の嫌われ者であった。 その風貌風体なのか日頃の行いからなのか(ムム身につまされる)、ハチもモンも他のノラも白黒が来ると唸り声をあげるが戦えば負けるので、手を出しても白黒が唸ると駐車場の車の下や玄関近くの植木棚に<脱兎の如く>逃げこむ。 白黒は始めの頃は威嚇され、たじろぎながらも、そろり、餌の皿に近づいたが、私も次男も隔て無く餌やりを続けるうちに他の猫達の攻撃は止んだ。 一緒に遊ぶことはまだないが、諦めか、許容していったのだ。 今では頭を撫でられながら餌をほうばるとのっそのっそと帰っていく。 冒頭に掲げた漱石の句、我が家ではモンである。 甘えたいときは抱かれに来る。布団にも潜り込みゴロゴロ喉を鳴らしている。 神経性の胃弱に苦しんだ漱石のひと時の平安がその句に感じられる。 なにせ、相手は自足を極めているのだ。 なにも、足ることを知る、とか唱えずとも、そのものが自足たる存在なのだ。 派遣法に大いに貢献し性接待で有名な大派遣会社のカイチョーになったへ~ぞ~なんぞ猫の足元にも及ぶまい。 自作自演の猿芝居で改憲を進める首相一派を支持する盲目の有権者・・・ ヒト科だけか・・・アホなのは。 しゃあないのう。 自足なり花散る里のニャンコかな 巴琴 左、白黒、 中、ミー、 右ポチ子の小屋でハチとモン