pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

蓮の花 三番花




昨日、蓮の三番目の花が開きました。
泥中汚辱の現世に咲く穢れ無き花。

お盆に合わせて咲いてくれるのか、お盆が蓮の花に合わせて行われるようになったのか。
古来仏教に篤く帰依した人々がこの蓮の花を仏花と見立てたのは当然のように思えます。

以 前、中将姫が蓮の茎から取った糸で織ったという当麻曼荼羅図の在る当麻寺に参詣した折、丁度特別展がありましたので覗いてみると中将姫御手になる写経の一 部が展覧されていました。それが本当かどうかは問題ではなく、私はその一文字一文字の見事な端正ぶりに心を奪われたのでした。

よく、書は人なりと言います。
その伝で言うなら私のは悪書もいいところで、大学時代の恩師がさすがに褒めようもない私の書に「うん、真っ直ぐな性格が現れていて良い!下手だがな・・・」と仰られたことは忘れられません。

私の書は論外、脱線しました。
脱線といえば、私の人生も脱線続きで、いや、実は脱線できるレール自体がアヤツにはそもそもないのではないか。
レールの上を走っているのは見たことがない、などとレールの上しか走らない連中に見られていたようです。
また脱線。

中将姫御手なる書の美しさ・・・
一文字に込めた彼女の深く熱い仏への思いを感じたのでした。
私は惚れやすい男です。
美しい・・・そう感じたらレール無用。
天性にして更に徹底した修練のなせる技に加え純粋無垢なる美しく若い魂によって運筆された文字・・・
俗悪なる我が心までが澄んでいくようです。

おもうに、仏教に寄せる古人の思いの深さを忘れ、観光気分、美術品鑑賞気分で仏教を見てはいけないのです。

中将姫の文字、それは祈りの文字であり、写経に打ち込み無心となれる人たちもまた同じでしょう。
世に言う『平家納経』も同じ。
写経の絶美と謳われた国宝『平家納経』は平家公達の思いの高さと美しさによって生まれたものです。
国宝とは、カネの価値で尊重するなんて人はいませんよね。国宝と認めたからには多少なりともその価値に近づこうとスべきです。
平 清盛の治世云々なんだかんだとドラマレベルの世評が作られていますが、なに?現代の統治者はどうだい。そう、微塵もないのさ。外務省がオバマ大統領の原爆 投下関しての謝罪申し入れを断ったとウイキリークスが暴露したそうですが、事実なら彼らは数十万の犠牲者はおろか日本人全体、歴史文化まで、そのものを否 定したことになります。                        また脱線・・・



この三番目の蓮の花を眺めていて、何故か、そんな当麻寺での思い出が浮かびました。
そうだ、京、 法金剛院にも沢山咲いていました。
待賢門院の開基とされるお寺にふさわしいのです。
絶世の美女にして薄幸の人生をおくられた女性です。

蓮の花は清らかな光を満たして咲いてくれました。
因果倶時。
汚れを知らぬ蓮の葉もまた白玉を輝かせています。



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