2015-11-03 晩秋 ・先日、給与明細を渡されたが、契約ではひと月間試用期間で、一回(一晩)11,000円となっていた。明細票では、勤務開始からの2回分はノーカウント、つまりタダ働き扱いとなっていた。一瞬頭に血が上ったが、よく見るとその後の分は正規手当となっているので、ひと月分の支給はひと月を試用期間とカウントされるよりずっと多い。したがって、上った血は下がり、黙っていることにした。変なの。毎朝、6時45分前には院長は副理事長であらせられる義母と院長室にいる。お茶出しとひと晩の報告をせねばならない。「では、報告!昨夜何時何分、電話あり、妻が睡眠薬を誤って多量に飲んで心配なので診てもらえないかとありましたがお断りしました」「なんで断った?それくらいの量なら死ぬことはない」「いや、マニュアル通りです!」「?そうか、胃洗浄できないからな」と納得。かわいそうに、その電話してきた夫はうろたえていた。しかし、自分で各病院に夜間電話しても拉致があかないことは、当院のマニュアルをみてもわかる。私は、彼に、すぐ救急車を呼びなさい、できるだけ早く!と教えておいた。その方が確実なのだ。今日は晩秋の最高の散歩日和であった。昨日の冷たい雨から暖かな快晴と穏やかな風に誘われて午後歩いた。現役の頃、近隣をゆっくり歩くことができなかったが、このあたりは絶好のウオーキング、山歩きのできる奥武蔵であった。もともと、頭の中は空っぽだが、歩き出せばより空となり、目にする自然や耳にする野鳥のさえずり風の音、森の木々や草花の香りだけが、つまり感覚だけが蘇ってくる。自宅のある山を降り、渓流沿いに歩いてみると、以前はなかった道ができていて、その分川沿いを堪能できた。水の匂いもよい。昨日の雨で森も瑞々しい。休日でもあり、ちらほらと家族連れなどが川原で憩うすがたがあったが、中年の白人が一人家族の前でパンツ一枚で川に入っていたのには少々驚いた。ぐるり歩いて駅前の茶店で一服した。この店は40年近く前に来て以来続く「老舗」であり、老舗のプライドは「喫煙」にまったくこだわらないという姿に現れている。そういう店は都内にもある。大阪では当たり前である。東京というところは、すぐにヒステリーに反応し、喫煙者排除、なんたら排除と、排除が大好きなノータリン都市である。これほど不健全な精神の都市はない。排除といえば、バイト通勤で池袋駅を使うが、駅ビルの軒下にダンボールハウス暮らしの婆さんがいた。氷雨の月曜の朝帰り、見かけず排除されたか、病気にでもなったかと気になったが、いたいた。朝帰りに必ず立ち寄る茶店で彼女は立派なモーニング料理を並べて、しもぶくれの突き出た顎に乗っかる、碌に歯のない口に悠然とタバコをふかしていたのだった。 どこかで見た顔・・・ああ、昔のポパイの婆さんバージョンである。垢だらけなど通り越した黒光りするしわくちゃの顔でスタンドに短い足を組んでタバコをふかすサマはなかなか堂に入っているのである。いま、18時04分。私の前に放送大学の案内がある。元来学位など関心はないが、この40年近く、自分の専門がほとんどお留守だったことで、学びたいことが逆に絞られてきたのである。教授陣はさすがに立派なものである。教養課程的な科目にも面白そうな科目がある。修士課程科目も面白そうだ。12月以降の申し込みで4月入学となり、学生巴琴の復活である。ヒヒヒ、ふふふ、にゃはー!それにしても・・・院にはお受験が必要だとさ。で、要項には英語の試験までちゃんとある。40年おさらばしてきた英語である。なんで、我が国の古典の研究、なかんずく和歌の研究に英語が必要なのか、空っぽ頭の巴琴にはさっぱり理解できない。やれやれ┐(´д`)┌・