2017-02-14 ドリアン助川様 大変失礼ですが、初めて御名拝見した時は、てっきりコメディアンの芸名かと思い込みました。実は漫画家つげ義春のファンで、彼の『無能の人』に助川助三という名が出ており、そこから採った芸名かと誤解したのです。ところが、映画『あん』原作者が貴方であると知って、まあコメディアンが芥川賞を得る時代ですから、あり得るかと、ここまでは誤解が続きました。しかし、映画『あん』の素晴らしさは樹木希林さんの超演技だけではないと、当たり前のことに思い至り、久しぶりに本を購入する意欲が起きました。と言ってもアマゾンでの中古本ですが、価格1円送料数百円、実にヘンテコな世の中です。何かが大きく間違っていると感じますが、その本は貴方の『食べるー七通の手紙』というエッセイです。奥付に1996年10月14日発行となっておりますから、もう20年過ぎましたね。何故この本を選んだかというのは、その中で宮沢賢治に触れておられるからです。『あん』の静謐厳粛な世界と通底するものを感じ興味をそそられました。第一の手紙 「イーハトーブの孤高 宮沢賢治様」 貴方の「新釈・雨にもマケズ」には貴方の賢治への愛情が溢れています。薄っぺらな気持ちでは書けません。だから、宮沢賢治遺作「グスコーブドリの伝記」への貴方の受容表現も素直に胸を打ちます。「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」 このブドリの言葉に対し、オホーツクの流氷を前にした貴方は「この言葉があなたの最後の意思であったかと思うと、いかに生命がはかないものであるとはいえ、宮沢賢治的魂の再生を願わずにはいられません。押し寄せてやがて消えていく流氷ですが、この大自然の輪廻は永劫と続いているのです。あなたが消えてから私たちが現れたように、私たちもまたいつしか消えていき、次の世代が詩を書いたり歌ったりしていくことでしょう。 血を吐き続けながら逝ったあなたは「また起きて詳しく書くから」という言葉を最後に息を引き取られました。 賢治さん、「また起きて」とは、病気が治るということではなく、あなたのような魂を持った人間が、あなた亡き後にも確実に現れ、「詳しく書く」という希望だったのではないですか。燈が消える瞬間のあなたの気持ちがそうなのであれば、ブドリの最後の言葉とも見事に重なるのです。 あなたは本当に、最後の最後まで「命」について考えた人なのだと思います。」 助川さん、貴方の、このような理解、受容を読ませていただいて幸運でした。例の「雨ニモマケズ」はそのような理解の上で読まなければなりません。そして、 眼にて云ふ 「疾中」より、「眼にて云ふ」だめでせうとまりませんながぶがぶ湧いてゐるですからなゆふべからねむらず血も出つづけなもんですからそこらは青くしんしんとしてどうも間もなく死にさうですけれどもなんといゝ風でせうもう清明が近いのであんなに青ぞらからもりあがって湧くやうにきれいな風が来るですなもみぢの嫩芽と毛のやうな花に秋草のやうな波をたて焼痕のある藺草のむしろも青いですあなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが黒いフロックコートを召してこんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけばこれで死んでもまづは文句もありません血がでてゐるにかゝはらずこんなにのんきで苦しくないのは魂魄なかばからだをはなれたのですかなたゞどうも血のためにそれを云へないがひどいですあなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうがわたくしから見えるのはやっぱりきれいな青ぞらとすきとほった風ばかりです。 この、賢治の血まみれの病床の中で書かれた詩の受容への道筋も見えてくるのです。貴方の「最後の最後まで「命」について考えた人なのだと思います」という言葉は、この「疾中」全編通してのテーマでした。しかしまた、賢治は「命」とともに「仏」を「愛」を描いたということも異論はないでしょう。横臥のなかで血反吐を吐きながら、激しい苦痛の繰り返し襲う日々と迫る死への懼れに向き合う賢治は、これらの詩編を家族に読ませたわけですから。ただ、自分の心境を描いただけではない。読む家族を賢治が意識しないはずはありません。残された者たちが読めば、哀しみは消えずとも「救い」は示されるでしょう。わたくしから見えるのはやっぱりきれいな青ぞらとすきとほった風ばかりです助川さん、そんな青空や風を感じたいものですね。 宮沢賢治 疾中 ・