pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

皆殺し命令『忘却された支配―日本のなかの植民地朝鮮』3 




第3章 骨と碑の戦後史2-筑豊、では、あの麻生炭鉱が出てくるのは無論である。長生炭鉱の頼尊淵之助に勝るとも劣らぬ朝鮮人連行、暴虐ぶりが出てくる。

「麻生炭鉱での朝鮮人強制労働」
http://www.pacohama.sakura.ne.jp/kyosei/2asou.html
竹内さんの調査であるが。ぜひご一読願いたい。

その麻生炭鉱のお膝元の飯塚市に無窮花堂が建っている。
無窮花とはムクゲの花という。

「韓国の国花である無窮花(あるいは木槿)は、散って咲き、また散っては咲く生命力の強さを、韓国人の歴史と性格に例える」韓国観光公社

その建設を主導したのがぺ.レソンさんだが、彼は「毎週欠かさず市役所に顔を出し、三年越しで説得した」結果、2000年2月に無窮花堂を建てたのだが、特色は、その誠実さにおいて、忍耐において市行政に強制連行、虐待死、を認めさせ、歴史的事実を後世に残す必要性を認識させ、「国際交流広場」として土地を無償貸与する、それらを市が共同記者会見でぺさんとともに表明したことである。ぺさんのその活動ぶりを高く評価する声が多いのも当たり前だ。
ペさんは65歳、入院中に遺骨収集を思い立ち、73歳から始めたという。

「当初より麻生財務相とつながりの深いグループがその碑文攻撃が始まり、第二次安倍政権が攻撃を再開し産経新聞が報道し、日本会議系市議が蒸し返した」のである。
追悼集会に「ヘイトスピーチ」も現れた。法事に殴り込みをかけるような残忍非道である。

この他、女「鉱夫」の記録、明治産業革命遺産の問題、「山本作兵衛」などの裏話が述べられて興味深い。

第4章 追悼と謝罪の間―紀州
では、英国人捕虜と朝鮮人への日本政府の露骨な差別が記述されている。醜悪このうえない。

第5章 朝鮮人の特攻ー知覧.万世
については、小泉.安部政権時代に戦後何度目かの特攻ブームが起きたのは記憶に新しい。百田尚樹の幼稚な特攻美談小説バカ売れは本当かどうか怪しいが、十分仕組まれた「ブーム」とみてよい。その洗脳の一つの舞台が知覧であり、朝鮮人特攻が起きたのもそこである。もちろん、ここも北海道から貨車ですし詰めで朝鮮人が送り込まれ多数が死んで、亡骸は適当に埋められた。日本は特攻兵にまで利用したのである。また、特攻基地としての万世基地建設に働いた小泉純也小泉純一郎の父親である。この男は岸信介とともに安保で「活躍」したが、また忠犬よろしくルメイ米空軍参謀総長勲一等旭日大綬章を授与した。いま、なりふり構わぬ姿は日本人政治家そのものと映るが、なりふり構わずというにも程がある。日本の都市を夜間無差別に焼き払う「日本焦土化」を立案指揮し、原爆投下もやってのけた男である。万世で、「青少年二百余人を死地に旅出される飛行場を故郷に誘致した政治家は、ルメイに勲一等を授与した。その息子はでっち上げイラク戦争責任者ブッシュの前で踊って見せた。

小泉純也のほか、陸軍特攻総指揮者、菅原道大中将がいる。彼は朝鮮人特攻兵に冤罪を被せ処刑させた責任者だが、「お前たちだけを死なせない。俺は最後の一機で必ず後を追う」と訓示しながら、戦後38年間永らえ95歳で「天寿」を迎えた。また特攻生還者を「なぜ死なない」と責め立てた菅原中将の部下、倉沢清忠少佐は戦後に大企業社長と出世したが、実弾入り拳銃を持ち歩き、自宅には軍刀を隠し持っていたという。「特攻は志願だった」と言い張っていたらしい。「朝鮮人は希望してきた」と同じ屁理屈である。
それらを知ったうえで特攻美談とは恐ろしい神経であり、人の死をものとも思わぬ外道であろう。


第6章 朝鮮ジェノサイドー四国

東学党の乱、現代は甲午農民戦争と改められているらしいが、日本史でこの言葉だけは「習った」。いや、日本史の授業は寝ていたので受験勉強で覚えたに過ぎないが、この章で明らかにされたその実態はすさまじい。日清戦争は実は日朝戦争を内包していたのである。それがバレるのを嫌った明治政府以降の日本は事実を隠したままだったのだ。

後備第一九大隊が、その反乱討伐に充てられたが、その四国4県から召集された大隊は総数六百数十人の退役兵の集団である。それで、竹槍や鎌、せいぜいが火縄銃の数万人の朝鮮人を「手当たり次第に」殺傷したという。日本側の戦死は一名。日清戦争で清の死者は35000人というから、実はこの甲午農民戦争の方がはるかに犠牲者は多かったのだという。知らなかった。

 北大講堂研究室の棚にあった段ボールの中に6体の骨が発見され、大学から調査を任された井上勝生教授が解明していった。それで甲午農民戦争の実体が日本側の実体として明らかにされていった。


東学党に対する処置は厳烈なるを要す、向後悉く殺戮すべし」

広島大本営川上操六少将が現地司令部に打った命令電報である。「皆殺しにせよ」という。その実態を井上氏は兵士の故郷の市町村史、地方新聞紙など、また子孫への聞き取りなどで明らかにしていったのである。その中でも、従軍記は兵士が記録した生々しいもので、その皆殺しの実体が浮かんでくる。あまりに残酷な記録は省く。

「我隊始めて狙撃をなし、百発百中、実に愉快を覚えたり。敵は烏合の衆なれば…」

これはその当時の宇和島新聞記事である。一等軍曹の家族への手紙を掲載した。「西欧諸国が植民地を強奪していった時の「ジェノサイド‐大量虐殺現場に共通して見られた症状である」
 この大日本帝国朝鮮半島への姿勢が日清戦争中にあったということ、大虐殺を隠ぺいしようとしてきたこと、を知らなければ、知らぬこと自体が「罪」であると私は考える。

日露戦争までは日本は美しかったとか言う司馬遼太郎氏は間違っていた。川上操六少将まで登場させたお花畑思考は悲しい。はじめから暴虐性を持った新政府であった。ソレは維新の政府軍を見ればわかりそうなものである。しかし、政府命令による、この朝鮮人大量虐殺の実態は衝撃的事実である


第1章から第6章まで読んできたが、
明治以降、このような所業をなして、伊藤博文は実は朝鮮思いだったとか、なぜ言えるのか。また、そののちに現れてくる強制連行や慰安婦問題で、なぜ否定する強弁ができるのか不可解極まる。韓国側はこの甲午農民戦争を当たり前だが研究している。


「戦後七〇年安部談話は、四つのキーワードのうち、「侵略」と「植民地支配」への言及をごまかした。「反省」と「謝罪」も誰に向かって言っているのか分からない」
            伊藤智永

長年にわたり、各地で地道な調査、研究、慰霊、遺骨の掘り起こしと返還に取り組んでいらっしゃるたくさんの方々をこの書物で知りました。感謝します。また、貸していただいた畏友にも感謝。持つべきものは友です(⌒-⌒)。


戦時強制労働の調査  山口武信
http://www.pacohama.sakura.ne.jp/kyosei/kyouseiroudo.html