pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

林住期?難渋期?



「誰でも間違いをすることはある。しかし、間違いを固執するのは馬鹿以外にはない」
  マルクス・トゥッリウス・キケロ


然らば、今の議員の大半は「馬鹿以外にはない」となる。そのトップが首相以下であろう。
尤も、彼らは「間違いをする」のではなく、始めから「我慾」ボケなので、幸いにもキケロの言葉を汚さずに済む。

林住期という言葉が一時期もてはやされた。
一時期、であって、つまりは作られた「ブーム」に乗せられたにすぎないのか、そうならば情けない話である。

五木寛之は「遊行の門」において以下の四期に人生を分けて見せたのであるが、孔子の『論語』(為政編)より雑駁ではある。
「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」 
              
この、人生を四期に分ける思想は太古のインドから来ているわけで、五木寛之が林住期の別荘住まいから、無一物の遊行僧になったという噂は寡聞にして知らない。本来、この思想は、超エリートのものである。
以前、TVでいろんな寺巡りでの五木寛之の神妙な顔を流していたが、彼は今何をしているのだろうか。
もはや無思考が主流となりつつある日本に於いて、宗教的「悟り」の真似事は危険である。悟る前に、一から知る大事さ、一から考える大事さに気づかなければオウム真理教となり、社畜となり、教育勅語礼拝となり、人参馬となり、三猿精神、ぽっくり寺の奴隷となる。

ネタが尽きたのかどうかは知らないが、五木寛之は「嫌老社会」という言葉を出して見せた。しかし、その言葉の社会的理解はいかにも浅い。私はこの言葉が実は政治的な意図を隠し持った、ある種のプロパガンダであり、世代間対立を煽る目的とみている。世代間対立、男女間対立、反沖縄など、この行先は反韓反中反朝反露と同質であり差別感を助長する。庶民間の対立こそ為政者の期待するところである。それを指摘せずに賢老だの成熟だのと軽薄にしか聞こえない。まあ、その軽さが取り柄なのだろうが。

私など、ただの老人。もとより嫌われてなんぼという人生であるから成熟という言葉の語感だけでも背中がざわざわする。おう、そうそう、林住期などとカッコつけるには程遠い下流老人である。またぞろバイトせにゃならん。昨年11月から今年の3月まで三か所でバイトしたがいやはや…というところ。とりあえずハロワに失業手当の請求を行った。わずかでも、取られた分は取り返すのである。という中で甥っ子の訃報が入った。11歳。逆縁の不幸こそ辛いものはない。浴槽で亡くなっていた。推測するに「過労」が根本にあるのではないか。少年スポーツは考えたほうが良い。ただでさえ、学校で企業戦士顔負けの過密スケジュールを強制されているのに加えて、塾、小スポ…。葬儀参列者が500人を超えても、いくら涙しても彼は帰ってこないのだ。親の無念慟哭は計り知れない。

そんな折も折、今度は私が入浴中、浴槽の縁にしたたか胸を打ち付けた。打撲と思っていたが、一昨日痛みがおかしいので受診したら肋骨骨折だった。骨折なんて想像もしていなかったので驚いた。老いたものである。まあ、肋骨だから下手に動かさなければ痛みはそれほどではない。今日も通院などで1万歩を超えた。

昨日は、初の句会があった。私を含め五名でまずは発足。88歳の元営業所長だった女性を筆頭に、主宰は学生時代数学で留学していたという句歴50年の80歳男性と、初めてお会いした70代男性、私とほぼ同じ年齢の才気煥発の女性という顔ぶれで立派な高齢句会だが、皆さんの元気さに良い刺激を受けた。有難いことである。初句会の兼題は「五月」「夏」。私は前日記に出した、以下の句を提出した。


1 晴れわたるゴールドベルクの聖五月

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2 水遣りも光こぼれて聖五月

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3 音楽の鳥よ戯れ聖五月

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4 初恋の雉の叫ぶや皐月野に

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5 花に倦む日も知らざりて五月かな

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1、はゴールドベルグの意味、世界がうまく伝わらなかった。
2、は最高点をいただいた。
3、は1と併せて読んでいただき、句意が了解された。
4、は「初恋」でないとだめなの?と質問を受け、当然初恋ですと答えた。
5、は「倦む」「日も知らざりて」の意がうまく伝わらなかった。


備忘録的に記しておきます。

まあ、なんだろう、定年後何もなく穏やかに平和にのんびり過ごせると期待していたら、全く逆。「あてともっこは向こうから外れるんだよ」と亡き父が笑っていそうです。