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いつの間にか前日記より15日間が過ぎてしまった。
忙しかったと言えば忙しい15日間だった。
あれやこれなんだかんだの夏至もすぎ
はや七夕か…
七夕の月に恥らふ影ふたつ 巴琴
それは恥じらうだろう、満月に近い煌々たる夜である。年に一度の逢瀬。そっとしてやらねば哀れである。しかし、一年に一度どころかずっと逢えない者に比べればましなものであろう。
葉隠れに散りとどまれる花のみぞ
忍びし人に逢ふ心地する 西行
この歌が実在の相手を詠んだものかどうか、実在の女人であり、また架空の女人であろうとも思う。み仏への激しい憬れの歌となれば秘すべき思いの燃焼を感じるし、実在の相手となれば後の式子内親王の
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることのよわりもぞする
という恋の絶唱を導く歌となる。
いや、この歌とても、定家への恋などという世評は話半分が良いだろう。彼女は以仁王の妹君で源頼政らの挙兵、兄の死を生きた女人である。西行もほぼ同時代。
にほてるやなぎたる朝に見わたせば
漕ぎゆく跡の浪だにもなし
しるべせよ跡なき波にこぐ舟の
行くへもしらぬ八重のしほ風 式子内親王
上記2首、似ている。がしかし、式子内親王の方は恋の歌とされている。この歌は本歌が藤原勝臣 の次の恋の歌となっているからだろう。
白浪のあとなき方に行く舟も
風ぞたよりのしるべなりける (古今472)
式子内親王は西行の歌と藤原勝臣の歌を巧みに取り入れつつ 平康頼の「八重のしほ風」という表現で結んだのである。やはり天賦の歌才であろう。西行の歌は以前取り上げた、慈円との詠み合いの歌であり、西行の人生を昇華した歌である。式子内親王の歌の方は、やはり恋とも人生とも読めるのである。恋とすれば一時のものではない、彼女の人生を賭けた恋である。人生の歌とすれば、「しるべせよ」と、彼女は西行に道案内を願っているのである。
ああ、また脱線、七夕から和歌の世界に迷い込んだ。久しぶりである。前に正岡子規をちょっとからかったが、『歌詠みに与ふる書』などは如何に軽薄かわかるというものである。
雲間よりもれ来る影のかさなりぬ
年に一度の逢瀬なりせば 巴琴
やはり、年に一度でも、天の川で大いに燃え上がるのは幸せというものである。
七夕の月も恥らふ影ふたつ 巴琴
満月は9日である。
こんな句を詠むと「擬人化だ、話にならん」と泉下からバカにされそうである\(^▽^)/