pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

沖縄のおばあ議員会館に来る。

12日、新文芸坐で三上智恵監督ドキュメンタリー映画2本を観た。
『標的の島 風かたか』と『戦場ぬ止み』である。
沖縄の言語文化を尊重するタイトルで、「かたか」は守るという意味らしい。風から子どもらを守る、そんなやさしいタイトルである。親なら誰でも、我が身に代えてでも子どもを守りたいのは普遍的である。それが、直面した時に親ならどう動くべきかは本来なら論を待たないはずである。


この2つの作品で沖縄問題の深刻さをかいま見た。

沖縄は明治から帝国の圧政に苦しみ、戦中は捨て石として住民も軍の殺戮に遭った。戦後は米軍に供され、米軍に人権を奪われながら蹂躙され続けた。

もちろん、敗戦後真っ先に占領軍に日本の婦女子を「慰安所」に入れて提供したいと願い出た政府であった。その延長線上に今がある。

米兵による殺人暴行強姦などの凶悪犯罪は5000件を超え、事故も頻発し、地位協定で沖縄の人たちは戦前から現在に至るまで踏みにじられている。
加えてさらなる沖縄の軍事要塞が進行している。
軍事基地が増えるほどそこは真っ先に攻撃対象となる。

アイヌ民族は殆ど滅ぼした「本土」が沖縄も蹂躙する姿を、三上監督は映像にしっかり捉えた。

辺野古基地前で、多い時でさえわずか百数十人の無抵抗の座り込みに対して千人に及ぶ「本土」から派遣された機動隊員が安倍晋三によって送り込まれた姿は正気を逸する。マスコミは反対派の行動を脚色し、国民に伝えている。

沖縄のおばあは辺野古基地建設前で、一貫して無抵抗のまま座り込みという行動で抗議活動をしている。今年88歳。もはや身体が弱り脚が立たなくなってきているが、頑張っている。

その姿をを三上監督は克明に写した。なぜおばあがこんなにまで抗議活動を続けるのか。

戦争への怒りが全てであった。
その怒りは辺野古基地建設、また、琉球弧全体に軍事基地化を推し進める政府への怒りだった。

沖縄だけの問題ではないよ、日本人みんなの問題よ、とおばあは言う。

まさしく、その通りで日本人の多数は我が事になってさえ恐らく気づかぬのである。さらには、他人の不幸を喜ぶ連中がネットに溢れている。だから、おばあの言葉は黙殺されている。黙殺どころか、「日本のこころ」とか言う、日本会議和田政宗議員がわざわざ沖縄に出向き、おばあの目の前で無礼千万なカメラを向け続け、おばあを挑発した。手で払い除けたおばあに暴行を受けたと和田政宗は警察に駆け込んだのだった。なんという卑しさ。当時86歳の足腰弱ったおばあをである。

そして「土人」発言が機動隊員から出た。
明治以来かわらぬ日本人の心性の一端が吹き出たのである。朝鮮蔑視中国人蔑視はおろか国内の者への蔑視、差別意識が未だに強い国である事を示した。

素晴らしい日本のこころである。安倍晋三と一心同体か。

おばあは安倍晋三のやる事全て悪事である、甘いエサを振りいてと怒る。故郷沖縄の基地問題辺野古基地に移されただけの話である。
無論、安倍政府が現実可したのは強権立法のみ。国民生活は甘言は弄しているが、全て愚か者を釣り上げる看板でしかなく、全て看板倒れである。民生悪化は放置し、「軍拡」に走る政府の姿は沖縄で顕著だが、マスコミは伝えない。伝えないどころか、差別を、煽る番組があった。東京MXの「ニュース女子」という番組が辺野古基地の抗議活動に対して、虚偽の報道をなし、嘲笑したというのだ。その中に、東京新聞の長谷川副主幹も居たとは驚きである。本来ならクビである。降格では、また浮かび上がる。ボウフラに同じ。

そのおばあが念願叶って、ではない、念願は安倍晋三と差し向かうことだが、参議院議員会館で講演という形で支援者が動いた。福島瑞穂は座り込みも一貫して行っている。

昨日の午後4時から講演という事で、私は直接おばあの顔を見たい、声を聞きたい、滅多にない機会である。と、出かけた。こんな筋金入りの庶民の女傑に会えるならと。ところが、講堂は500人先着満席で別室でモニター視聴だとさ。
「立ち見できないのか?」
「できません」
そんなバカな話があるか。と面白くないスタートとなったら案の定、4時を、過ぎてもモニター不調でなかなか映らない。十数分待たせられてようやく映し出されが、主催者からはお詫びも何も無い。礼儀さえ知らぬ人たちであった。こちらは我慢して別室なのだ。講堂でもやや遅れたようだが、音声は入った。ところが、始めは議員紹介。恭しく。その後は何と「挨拶状」を次々と朗読して行った。司会者の自己陶酔気味の朗読を長々と聞かせられる。おいおい、主賓はおばあ、はるばる沖縄から弱った体を押して来てくれた。その車椅子のおばあを前になにやってるのか?
 この姿勢から彼らが何を優先したか分かるというものだ。やな、連中!

それでも忍耐強い私は耐えておばあの話を聞き顔を拝見した。映画の方が遥かに良い映像である。ま、当然だが。しかし、同じ場である。
おばあの話はおおよそ映画で聞いた話と同じであったが、一言一言一生懸命言葉を発するおばあの弱った身体を感じた。心配になった。

そして、何と、自由の森学園の菅間教諭が生徒2人引率していたが、モニターには映らなかった。演壇横の席に水飲みまで添えられて賓客扱いである。菅間君は自由の森を軽く宣伝し、女生徒が始めにおばあに質問した。

「戦争中、アメリカが命の恩人という文子さんの言葉は本心ですか?」

おいおい、何を穿った物言いだ。偉そうにまあと呆れ返った。単純に疑問だったのだろうが、バカか、こいつは、と思った。おばあは丁寧に戦争中の話を伝えて行った。ガマの中で火炎放射された事、血の流れ込む水を啜って生き延びた事、最後に米軍に助けられた事…日本軍なら間違いなく傷病者は殺されたと…途中、怒りが吹き出しテーブルを強く叩いたのだった。

次に男子生徒が質問した。

「僕達どうしていけばいいのですか?」「自衛隊は要ると思うんですが」

また私は呆気に取られた。自分でよく考えなさい。よく調べてね。おばあは優しく言うしかない。

最後に菅間教諭が挨拶した。

「生徒たちは自分なりに考えた事です」 

私は呆気を通り越して怒りを感じた。嘘付くな。生徒たちは突然この場ひ引っ張り出されて突然質問させられたのではない。念入りな打合せがあったはずである。
この学園は創立から十数年は創立時の栄光があった。全国から元気な優秀な若者が集まってきた。ところが組合の社会科教員中心に学校経営が委ねられ、草創期の優秀な校長始め教員が多く去っていった。学校は地域重視という転換を果たし、以降、地域のフォロー校となって行った。その過程で、進級したいなら壁の落書きを消せと命じられた生徒が薬剤で手の皮がボロボロになった。そんな学校に変質したのだ。建前と実態がこれ程乖離した学校も珍しい。しかし、看板である平和教育やらでテレビ露出を狙い宣伝する根性は変わってない。
菅間教諭のこの発言は、生徒の発言は生徒の責任ですと言ってるようなもの。責任転嫁は本能的にやるのだ。こんなのが支援者組織の中に食いついてくる。注意せねばね。革新だ、平和だ、反貧困だと、行動する人たちの中にはこんなのも食いついてくる。

まあ、やんぬるかな。組織とはこんなものだとため息をついたが、大事なのはおばあである。

よく頑張って、ここまでいらっしゃった。
命がけの戦いをよくここまで耐えて来られた。

映画監督の三上智恵さんは、おばあの横に並んで、おばあの話の引出し役だったが、三上さんはずっとおばあに寄り添い続けた女性だ。その三上さんが、何度かハンカチで目を拭う姿があった。どのような涙だったか……万感の涙だろうが、いつか聞きたい。

 

このような、ヨイショ記事が嫌いなのです。

https://news.yahoo.co.jp/byline/masanoatsuko/20170818-00074662/