pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

ゼニの学校


教育は国家百年の大計である。

つまり、政治そのものである。


この言に従えば、日本人は滅ぶ。


かつて、管理職は互選であった。
いまは管理職手当目当て、退職金目当て、年金増額目当て、晴れて校長退職後は勲章と天下りも用意されている。
利益誘導の自民党政治は学校を腐敗させた。

近頃では加計のオッサンが自分は教育事業家であると宣った。つまり、ゼニ。安倍友である。もはや子どもを食い物にして憚らない。

 

かつて、それでも40年近く前までは一部教員の必死の努力で、手づくりの教育が行われていたが、校長権力の強化によって、次々と潰されていった。

それでも、せめて入学式や卒業式を手づくりでと努力していた姿も消えて行った。いま、戦前回帰のシンボルである日の丸や君が代が恭しく(カネ目当て)飾られ歌わされている。

歌を権力によって強制する愚、布っ切れの旗に敬礼する愚は権力に敬礼する愚劣を誘導する。その為にスポーツは大いに利用されている。


私は自分の子どもたちがこんなザマの学校に通わせたくなかったが、小学校はやむを得なかった。塾など論外であった。 

子どもたちに中学進学時に私学を問うた。
長男は親友たちと一緒に過ごしたいと公立を選んだ。後で知ったが長男は既に荒れていた。夜更け、親の寝たあと家を抜け出し、暴走族のバイクに乗せられ遊んでいたが、族に加入する事だけはしなかった。この男は中学卒業時に私学を選んだ。そこで信頼できる担任や教師に出会い、学校生活を満喫した。しかし、そこは進路指導も一切やらない学校だったし私も一切進路に口出しせず、高校卒業時漸く進路の相談をした。

まあ親はヤマ師受験の私。
受験勉強ゼロの息子は論文だけの入試で法学部に合格したが、そこで更に信頼できるゼミの教授に可愛がられて過ごした。

娘は中学から同じ私学で過ごした。小学校高学年で担任から受けるストレスに弱っていたし、兄の高校を見せていたので迷いはなかったようだ。しかし、娘が高校の頃にはそこも変質していた。私は何度も保護者会で抗議を繰り返したが、オラたちの組合は頑なに改悪を続けた。既に次男、末男も中学生だった。娘は受験の何も知らず、入れる大学に進学したが、授業中に「カア〜〜」と鳴く女子が居るレベルに辟易して、私の勧める大学に編入学した。

なぜ、長々とこんな話をしたかと云えば、義務教育、高校、殆どが子どもたちにとって不幸でしかない事実を示したいからである。

次男には高校進学時に相談に乗った。定時制か留学かの2択。定時制はとにかく自由、授業レベルは小学校だから、余計なストレスは極力カットできるが、次男は留学を選んだ。この息子は中二で延岡までヒッチハイクしたくらいで、根がボヘミアン的だった。

 

さて、本題、留学先はダブリンの公立高校だった。親としては初めて留学させたので心配が募り、一度訪ねた事がある。冬休みだった。留学エージェントも通し、学校見学をさせてもらった。石造りの立派な校舎にも驚いたが、何より、校長が案内してくれた事に驚いた。

「休み中なので教師は来ませんから私が案内します」

彼の地では校長は「偉」くないのだった。

「まあ、私は雑用係みたいなものですな」と校長は笑った。

ロクに英語も知らず留学した息子は始め苦労したが、すぐ馴染んで行った。ついでに私はダブリンを散策したが、美しい街だった。橋にはサミュエル・ベケットやジェームス・ジョイスの名前が付けられていた。一概には言えないが、文学者への敬愛と誇りが感じられた。

息子の学校生活において、無駄な活動は殆どない。授業中心。部活や委員会もない。式と呼ぶものもなく、卒業式もない代わりに卒業パーティーがあった。礼装して参加する写真を見ると、それが彼らの大人への「儀式」みたいなものと理解する。生徒は個人として尊重され、学びも自発性を守られていた。

 この状況は末男が留学したニュージーランドでも同様で、ニュージーランドでは大学は必要に応じて入学できる。気違い染みた受験「戦争」(日本人は戦争という言葉が好きなのだ)とは無縁である。因みに、私の船乗りだった父が世界中で一番平等な国としてニュージーランドを挙げた事を思い出す。社長もヒラも対等。


 文化の違いさ、で済ます日本人に決定的に欠落している事とは何か。

 子どもへの愛情である。

 再三取り上げてきた日本の学校教育の惨状はそれを示す。我が子さえよけりゃで、受験という真綿で首を締め上げて平気である。他の子が自殺しようが、登校拒否(いまは不登校と呼ぶ。穏便に誤魔化す)になろうが、陰惨なイジメが起きようが、部活で殺されようが、運動会で殺されようが関心が希薄。もちろん教師の疲弊や自殺など「迷惑」な知性である。もはや狂気の類いであろう。


 学校内部では校長がヒラに声をかけ管理職試験の、お勉強をさせて憚らない。万一に備えて保険に加入すれば、親から損害賠償請求で裁判を起こされても平気なのだ。これも狂気であろう。


自分の子どもが荒れる、登校拒否になる、自殺する。
親は自分を責めるが、間違いである。

 

 いや、一度だけ、そんな状況を改善しようと、「ゆとり」を導入したことがあったが、親たちに骨抜きにされ、部活に骨抜きにされている。

 

教育は国家百年の大計である。


この言に従えば、日本人は滅ぶ。いや、滅びはしないが、無知蒙昧無責任の、国民奴隷国家となる。その前に発狂国民となりかねない。その足音は聞きたくないね。

(文系は要らないという政府、理系はカネになるか。ある意味紅衛兵毛沢東に同じ)

 

 

 

今日は雨の投票日。
風が強くなる前に済ませました。

 

以前撮った写真 奥吉野の道

f:id:pakin:20171022112931j:plain

www.youtube.com