pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

カタルーニャ、福島、浦上、沖縄


掲題に並べた地名で共通する日本人の意識とは何か。


日本人の意識的無意識的な差別意識である。
先にカタルーニャ独立宣言を取り上げたが、その報道で、NHKニュースWEV

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171028/k10011201251000.html

お読みになると分かるが、文章で一番重要な部分が、見出しといわゆる結論部であるが、

見出し
「スペイン カタルーニャ州 一方的な独立宣言可決 重大局面に」

この見出しにおいて、NHKは「一方的な」という語句を滑り込ませた。つまり、カタルーニャを批判的に捉え、読者に摺り込む表現である。

結論部 

小見出し 「現地の日本人にも不安広がる」

として、
「全体で30%程度、売り上げが落ち込んでいるということです」寿司店
「収益の落ち込みが長引けば80人いる従業員の一部を解雇せざるを得なくなる」ビジネスマン


お見事なくらいに「不安」をカネに集約して結んでいる。

NHKカタルーニャの歴史やスペインとの確執を知らぬ訳はあるまい。お受験トップクラスの人達である。

カタルーニャ独立問題の本質については何も語らず、現地の治安への不安と、カネの話。ジャーナリズムの片鱗も伺えない、ただの煽り記事としか読めない。

次の福島と浦上はもちろん放射線被爆であるが、沖縄も入れれば、その問題が「差別」であることはお分かりになるだろう。

弱者を差別する人間の本質的問題が、その4つの地名だけでも明らかである。

近年の日本人の中にはネット上で匿名を良いことに露骨な差別意識を以て福島、沖縄を攻撃してあるが、彼らはマスコミに踊らされ、マスコミの背後の政治にあやつられている。問題は無知であり、劣等感である。劣等感に無知が加わり、容易に差別が虐めとして現れるのだ。

浦上を取り上げたのはその差別が集約的に顕在化したからである。

今年の春、長崎と五島列島をようやく歩く事ができたが、その中で「浦上四番崩れ」も取り上げたが、詳しく、また、被差別部落民との関わりも追求した書籍として次に書籍があり、この内容がNHKドキュメンタリー『原爆と沈黙~長崎浦上の受難』となった。

 『生き抜け、その日のために 長崎の被差別部落キリシタン』      著者高山文彦

http://www.christiantoday.co.jp/articles/20857/20160512/ikinuke-sonohinotameni.htm

さて、極めて単純化すると、権力は庶民を争わせて権力安定を図るということである。しかし、ドキュメンタリーの中にも描かれた差別は凄まじい。被爆者への差別の凄まじさは被差別部落民はの差別と同じであり、浦上ではキリシタン弾圧に被差別部落民が利用された。弾圧され、差別される者同士が権力に踊らされる悲惨。

沖縄も同じである。
ネット上の沖縄の人達への差別意識、福島の被爆者や避難者への攻撃は凄まじい。

これらの現象は同根である。
その意識が、弱者カタルーニャへの批判的言辞となっている。


「自分の愛する家族や友人が「いとも簡単」に虐殺され、国語を禁止されても何もお感じになりませんか」

 

この問いかけの主意が私の考えの根本である。
私はカタルーニャ、浦上、沖縄、福島、全て同じ認識でいる。差別。

 

しかし……頼むからマスコミ、就中「天下」か「転嫁」のNHKが、問題を歪曲化し誑かすのは止めてほしい。世界中に知れるのである。「また自国民だけの安全とカネの心配か」と。

 

 


追記

そのドキュメンタリーご覧になられた方もいらっしゃると思うが、なかで、被爆者で、被差別部落出身の中村由一氏が話す、敗戦後の彼の受けた差別の実態もまた日本人を辞めたくなる酷さである。

彼は小六の卒業近くに初めて自分の名前を教師から呼ばれたという。
それまで「ゲンバク」とか「ハゲ」とかで呼ばれていた。校庭の外に中村氏の机椅子がポツンと置かれていたという。彼は被差別部落被爆者という2重の差別を受けたのである。