pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

  哭 子    許蘭雪軒(朝鮮漢詩人)


  哭 子    許蘭雪軒


  去年喪愛女  去年、愛女を喪し
  今年喪愛子  今年、愛子を喪した
  哀哀廣陵土  哀々し廣陵の地に
  雙墳相對起  雙つの墳、相對し起つ
  蕭蕭白楊風  蕭々と風は白楊に
  鬼火明松楸  鬼火は松楸を明もす
  紙錢招汝魂  紙錢、汝らの魂を招き
  玄酒奠汝丘  玄酒、汝らの丘に奠れば   
  應知弟兄魂  魂は兄弟と應知し
  夜夜相追遊  夜々、相追って遊ぶ
  縱有腹中孩  縦や、腹中に孩有りても
  安可冀長成  長成の安んず可を冀がい
  浪吟黄怡詞  黄怡の詞を浪吟し
  血泣悲呑聲  血泣し悲みの聲を呑む

 


  愛しい娘は昨年喪い
  愛する息子も今年喪う
  悲しみがあふれる広い丘の地に
  二つの墓石が向い合って起っている
  風は物悲しくヤマナラシの木を揺らし
  鬼火が墓場の松の木々を明らす
  紙錢を焚いてお前たちの霊を呼び
  酒をお前たちの墓に供えれば
  霊たちは姉弟と呼び合い
  夜ごと、追い駆け合って遊ぶか    
  もしやまた、わが身に子を宿したとしても
  健やかに育ってくれることを希い
  幼子の喜ぶ歌をあてどもなく吟じて    
  私は血涙を流し悲しみの声を飲み込む

 

”許蘭雪軒”が詠んだ詩から「哭子」

https://blogs.yahoo.co.jp/roshunante/61459085.html

以上、「はんちくさんのブログ」より引用サセテ頂きました。また、ごく一部を私なりに意訳させて頂きました。勝手をお許しください。

 

さて、私が朝鮮漢詩を読むのは今回が初めてです。しかも女流詩人です。彼女は李氏朝鮮時代に生きた薄幸の詩人です。日本人女流文学者に例えるなら金子みすゞ、或いは樋口一葉といったところでしょうか。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E8%98%AD%E9%9B%AA%E8%BB%92

 

8歳?にして漢文漢詩の才能を発揮し、大いに家族(皆高名な文人であったという)の期待を集めたのだろう、李氏朝鮮中期の詩僧、放浪詩人である李達に教えを享けたそうです。この李達の詩はとても面白いものだったのですが、今は残念ながら見当たりません。

 

上掲の「哭子」の何という率直な心情。おそらく、子を思う心情において、これ程に強烈な漢詩は無いでしょうね。いや、強烈、ではなく、母親の自然な心情だと思います。許蘭雪軒は15歳で嫁がされますが、姑らの執拗な虐待とだらしない夫の中で子を相次いで失い、実家の没落にも落胆し27歳でなくなります。そんな彼女の詩です。

 

「血泣し悲みの聲を呑む」

 

ここに彼女の万感があります。儒教下の家という密室空間の中で女性がどれほど呻吟していたことか。無論、女性が漢詩を嗜むなど以ての外の時代。優れて自由な発想を持てる親族に囲まれていた訳です。日本でも江戸期に女流漢詩人が登場していますが、やはり自由な発想を持てる家族でした。

 

しかし、彼女の詩は彼女の詩作と死を惜しんだ弟許筠によって彼女の詩の二百数十編は明国使者に渡され、他は嫁ぎ先によって焼かれたとか。その明から日本にも伝わっているそうです。かの地によって大いに評価され出版され、その明から日本にも伝わっているそうです。ちなみに弟許筠は明国に派遣された時にキリスト教徒となったそうです。彼女が正当な評価を受けるのは現代韓国になってからで、その過酷な運命はようやく報われるのです。

 

さて、子を思う親の心情は現代はその荒み方が目を覆うばかり。児相の幼児の方は定員を超過し、布団を敷く場所さえ事欠く有様。

 

私は磁器にばかり目が行っていたのですが、今回は朝鮮古典文芸に目を開かされました。先達に深く感謝申し上げます。