pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

安曇野


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     一、  狂気


昨夕安曇野に着いたが、意外にも雪は少なかった。先入観とはこんなものだ。
 本来は旅行するなら平日に限るのだが、非常勤とはいえ平日に堂々と休暇を取るには未だ気が引けるのである。

 尤も、今回も衝動的に旅行に出たのだ。イマノ職場、も、狂気の渦巻く世界なのだから、その毒にやられない為にはどうしても気分転換が必要になる。それは私の弱さなのだが、経験でもある。

 女子班のオバサン「生活指導員」たちは密室で女子を完全に囲い込み、女子の生活を完全に支配し、その有様は監獄より凄まじい。私の授業は何より知る楽しさを優先する。しかし、このオバサンたちの頭では「楽しい」授業はダメなのである。そのオバサン集団に恐れをなしている学習指導を行う我々5人のうち私以外は従順にこなしてきた。

 一体全体、楽しい授業はダメだという話は世界にも例を見ないだろう。ヒットラーも金総書記もそんなバカは言わないだろう。開いた口がふさがらないどころではない。理由は、授業で楽しくなって部屋に戻ると興奮することがあるからだそうである。女子たちは、オバサンたちの厳重な監視下、生活の部屋では会話も禁止である。

 また私は作文を重視するが、星野さんの詩の感想文で、生徒が嬉しそうに星野美術館に行った事があると書いてきた。それは良かったねと、その事をオバサンたちに伝えたら翌日英語担当の学習指導員のオバサンが「巴琴さん、子どもたちが過去を思い出す事をさせる授業は禁止なんです」と真顔で伝えてきた。生活指導員のオバサンに言われたのだ。星野美術館に行ったという過去を思い出させた事は悪い事なのである。

  思い出す事=虐待を思い出す=禁止なのだ。


「え?じゃあ、貴女の顔を見て子どもがDVした母親を思い出してヒキツケ起こしたら貴女どうすんの?」

 とは流石に言わなかったが、人間の何たるかを100%理解してないのだ。オソロシイ。

 被虐待の子どもが殆ど、こんな監獄以下の密室に次の場所が決まるまでオバサンたちに「大事」に「愛情」深く「保護]されているのである。冒頭に「狂気」と書いた理由である。

 男子グループ及び幼児グループはそこまで酷くないのが唯一の救いである。

 

    ニ  安曇野


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 今日、天気予報が外れて日中青空が覗く。雪に苦しむ人々には大変申し訳無いが、安曇野に雪が少ないとはいえ、聳える北アルプスの白はやはり美しい。朝、ホテルの窓を開けて見た山の空気の水墨画のような姿を見て、来た甲斐があったと思った。長谷川等伯の『松林図』がそこに在った。


 2月の碌山美術館はまた美しい佇まいであった。

「詩は書かないと死んでしまうような人が書けば良い」

 碌山を高く評価していた高村光太郎の言葉を売店の書籍から見つけた。

碌山は彫刻に於いてその高村光太郎の言葉を貫いた。

 隣接する中学校の敷地内にその美術館はある。そして、煉瓦作りの本館はその中学校生徒が煉瓦を一つひとつ運び重ねて出来ていったという。その関係から中学校校舎も美術館に調和していた。
美を大事にする学校として今も在るなら嬉しいが、その確率は殆どないという直感が浮かぶのは悲しい。

 一年近く前に長崎、五島を訪ねた時の話を思い出す。長い長い弾圧虐待を耐えて信仰を隠し持ってきた信者たちが赤貧の中から煉瓦を積み重ねて行った。信仰も美も本質は同じではないか。


 碌山が相馬黒光への思慕の形として制作した『デスペア』絶作『女』の二体を見た。黒光の現実主義が碌山をひどく苦しめたことは、その造形を見るに想像に難くない。呼吸できないほどの緊張感に縛り付けられた二体は黒光であり、碌山であった。もしかすると、黒光に出逢わなければ碌山は若死にせず済んだかも知れない。しかし、この二体は創造されなかっただろう。


美とは残酷でもある。


 私が本館に入ろうとすると、門の受付の女性が小走りに本館の玄関に飛び込んできた。「碌山の鐘」を撞きに来たのだった。

 
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