pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

マルクスと現代と学校、子ども


学校は地獄なのか


そのようなタイトルで書かれた方がいらっしゃるので、そのテーマには過敏に反応する私は、コメント欄では足りないので、ここに、また、また、書く。


結論から言えば

子ども時代の何が良いのか。


親の圧制下で、子どもの楽しみは、回り道。道草を食う事。休みの日は外遊び。テレビがあれば、子ども番組は今よりは良質だった。

学校では、優しい良心的教師に当たれば運が良いが、同級生も併せて、虐めも差別(えこひいき含め)も日常的だったろうが、学校などやはり面白い訳がない。
だから、放課後から帰宅までの時間は子どもには天国だったはずである。

現代は、それら全てが奪われた。

全てである。

子どもの自殺は常態化した。
常態化すればすぐ順応し、思考麻痺するのが日本人である。


登校拒否を不登校と誤魔化し
自殺を自死と誤魔化し
鉄道自殺を事故と呼び

日本という国はソフトな鬼畜国家であろう。


一方では、おそろしく気持ち悪いロリコンの対象でしかない幼稚な大人女子や未成年までテレビに溢れさせ、既に壊れた頭の芸人を溢れさせ、空っぽ頭のスポーツ番組を垂れ流せば、大半は麻痺のままポピュリズムまっしぐらとなる。

いや、そもそも、麻痺していた。麻痺させられていた。麻痺が治るのは困るからテレビ媒体は一層ポピュリズムを加速する。

モラル破壊は子ども時代から加速する。
虐めから逃げられた子どもは塾で、お客様!として立派な「虐待」を受ける。立派な鬼畜虐待である。

それは時間を奪われるだけでなく、自主的な学びや思考の放棄を強要され、同級生や同年代の子どもを蹴落す精神を植え付けられるという悲惨である。そんな姿は親には関心なく、「点数」が全ての子どもの生活となる。
異常な精神を育てている。そんな成れの果ての典型が大半の官僚であり政治家であり、(エリート)マスコミ社員である。頭の中はカネ、サケ、オンナだけ。オンナ漁りは常態化し、リスト作成までしては悦にいっている。


一方、そのルートを外れた子ども達は「サボり」または登校拒否となる。

今や学校ヒエラルキーは見事なくらいで、偏差値中以下の学校など行政は関心なく、予算は上位校な手厚い。
教師も楽なので(何せ塾みたいなアホ授業で喜ばれる。こんな楽なものは無い)上位校転勤を目指し、素晴らしいヒラメとなる。子どもはダシ。

ロリコンの餌食となるか教師の(出世、笑わせるが、悲しいかな)ダシになるか。社会のお荷物となり、排除されていく。

 

今の、子ども時代の何が良いのか。
全てを奪われた
今の子ども時代の何が良いのか?


子どもは遊びが勉強である。
すなわち、遊びの時間、空間を保証できる社会が前提だが、空間は、仮想空間に置き換わった。


子どもは遊びが勉強であるが、その遊びには、学校や家庭と離れ逃避するという意味もある。それは大事な事で、親が知らない世界でワルも経験し成長する。ことごとく親や学校の監視下にあるなんて背筋が凍りつく。


2016年の警察発表では、小学生〜高校生の自殺数は320人。うち、小学生は12人。


少なくなったと喜ぶ神経は私には無い。

 

話題を映画に変えよう。

過日、『マルクス・エンゲルス』を観た。

彼らの若い頃の姿を描いたものだが、産業革命以後の労働者の絶望の中で、マルクスエンゲルスの出会いは2人の意思がもたらしたものだ。偶然の産物ではない。

この若い2人の凄さというか素晴らしさは、天才に加えその魂の純粋さ愛の深さにある。極貧のなかで。
天才的知性と愛が矛盾なく融合し、世界史を牽引する思想を確立したのだ。

今頃、マルクスエンゲルス

はい、マスコミでさんざん攻撃され続けた「共産主義」ですが、何せマスコミ攻撃は裏がしっかり有ります。すなわち、攻撃されるほど立派ということだ。

マルクスエンゲルスは、従って、近代以後の最高の知性と呼んでいい。かの、佐藤優氏もマルクスエンゲルスの思想的価値を活かす政策を追求している。

私自身はマルクスエンゲルス全集を古本屋で立ち読みしただけでアウト。しかし、映画でのテーマである、『共産党宣言』は高校生で読んで感銘を受けた。高らかな新時代を志向する、堂々たる宣言だった。

これ程の宣言を他に知らない。

もちろん、ソ連中共、北などを引き合いに出して攻撃するのは愚かである。現実の国家たるや、マルクスを引き合いに出して独裁国家を作ったに過ぎない。

しかし、独裁国家が悪いなら、日本は殆ど自民党独裁国家と呼んでいい。それを許すのは「飯が食える」からであった。さらに、ニンジンをぶら下げる自民党政治に騙されて、真綿で首を絞められても、茹で蛙状態になっても気づかずに、マスコミに煽られて喜ぶ愚かさはどこから来るか。


間違いなく、戦後教育の賜物であろう。


公教育は敗戦後に新憲法教育基本法を打ち立てて、当時の文部省の冊子でも『共産党宣言』並の高らかな理想を謳い上げていたが、急速に「保守」巻き返しが進行していった。
また、受験問題や部活問題、学校間格差問題はそのままであり、悪化の一途であった。

私の子どものうち2人は高校から留学したが、留学先の教育問題で、そのような問題は聞かなかった。

なぜ日本はこんな教育問題を抱えてしまったのか。根本的に、本質的に教育を問い直さねば、この国は国民皆奴隷国家となるが、それは現政権の悲願であろう。

マルクスに戻るが、マルクスらが示した

搾取
格差
疎外

私はこの3点に於いて「民主国家」がどのような解決案を示したか寡聞にして知らない。

私が以前書いた、ゲバラは数少ない、その理想と解決に正面から取り組み、キューバはおろか、米ソまで敵に回したのだ。
また、日本共産党にも失望を重ねている。議員が地位にこだわり、年金に憧れたらマルクスどころではない。去年介護問題で東京都議員団に連絡したが無視。小池の禁煙ファッショに便乗する有様である。


現実にはこの3点は拡大を続け、グローバル経済という当たり前の事象の中で、租税回避地による合法的?脱税が半ば公然と行われ、もはや搾取や格差どころではない。搾取と格差、疎外はグローバル化で世界を覆う。資本主義の行き着く先が見えてきたようである。


学校は地獄なのか


そうである。


会社は地獄なのか

と、問い直しても良い。


いや、日本は地獄なのかと問い直しても良い。


介護会社の経営者らの写真を見たが、ヤクザ?
カケイも?
日大も?
教育と介護は恐ろしい実態である。
大学さえ、腐敗と悪党の猖獗を極める。日大問題なぞ序の口であろう。
検察や裁判官は底辺を拾ってお茶を濁す

唯一の救いは、まだまだ善良な人たちがいる、戦う人たちもいるということだ。

でもって、自分はどうなのか自問する。
一つでも良い。
子ども時代を思い起こして幸せだった記憶が有れば救われる。


子どもらの自殺に目をつぶるな。
同罪である。