pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

秋の講演ー堀辰雄にみる「あこがれ」の構図




20日(土)午後から生憎の雨。
嬬恋のペンション泊

21日(日)快晴 
AM10時近くオーナーにバス停のある浅間牧場まで送ってもらう。バスが来るまでの間、近くの丘を散歩する。浅間山が薄っすらと初冠雪。信州の山並みが全視界に広がる。紅葉。


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バスに乗り白糸の滝下車。


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1時間ほど散策し軽井沢駅で簡単に昼食をとり、しなの鉄道で今回の旅の目的地である信濃追分に向かう。信濃追分駅からタクシーで堀辰雄文学記念館に着くが、講演会はさらに200メートル先の追分公民館であった。粗忽丸出しで慌てて歩き、何とか講演に間に合った。


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こじんまりとした追分公民館であるが、これが実は堀辰雄の弟子であった立原道造が石本建築事務所に勤務していた時の同僚の武基雄(ほかに丹下健三ら)が立原道造を偲んで設計したものであると初めて知った。


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         夏の旅

   I 村はづれの歌

咲いてゐるのは みやこぐさ と
指に摘んで 光にすかして教へてくれた ──
右は越後へ行く北の道
左は木曾へ行く中仙道
私たちはきれいな雨あがりの夕方に ぼんやり空を眺めて佇んでゐた
さうして 夕やけを脊にしてまっすぐと行けば 私のみすぼらしい故里の町
馬頭観世音の叢に 私たちは生れてはじめて言葉をなくして立ってゐた 

この詩のレリーフ碑が入り口左の塀に掲げられている。立原道造にとって唯一の目標であり、また憧れの対象が堀辰雄であったことは言うまでもないが、その憧れは追分の風土にも重ねられたのだった。師(兄的存在)の生きる空間と師の作品に描かれた空間が完全に一致していたのだ。そして「四季」に発表した立原道造の詩はまさに堀辰雄の透明な感性と同質であった。

そんな立原道造を偲んだ追分公民館は今回の講演会に相応しい。


堀辰雄にみる「あこがれ」の構図
  -美術と音楽との関わりからー
        早稲田大学名誉教授 中島国彦


堀辰雄エル・グレコ『受胎告知』の図版を法隆寺壁画の図版とともに終生部屋に飾っていたという。その作品について堀は矢代幸雄の『受胎告知』を求め、昭和12年11月、滞在先の油屋旅館が焼失した際も買い直したという。しかし、

「夜を深くし神秘の閃光に魂の奥を射ようとする此解釈は慥かに受胎告知の一つの解釋に相違ない。名作も出した。けれども此解釋は受胎告知の本質に固有なるものであらうか。余はさうは思わない。受胎告知の神秘は竟に美しき神秘である。天使は幸福の告知の伝達者、マリアの驚愕は可憐にふるへやすき処女の驚愕である」と

このような堀の受け止め方は矢代の精緻な研究とは別の次元で、つまり堀の文学的感性である。

昭和16年、堀は『菜穂子』刊行後の12月奈良旅行のあと、弱った体を顧慮せず足を延ばし倉敷の大原美術館に念願の『受胎告知』原画と対面したが、絵の前で30分ほど椅子に座ったまま良い気持ちになって眠ってしまったという。そんな堀辰雄の姿に中島先生は講演の表題である「あこがれ」の実相を見る。

辿り着く前の「あこがれ」の素晴らしさを堀は知っていた。対象への憧れは対象が魅力的なほど強くなる道理でありまた憧れゆえにそれは永遠である。

「昨日も今日も、午後だけ仕事場に行ってピアンキイの「リルケ論」中の「レキエエム」に関する頁を読んだ。私はそれを書き抜いた。リルケとともに、そして、リルケを通して思索することは、(特に「死」について)〔この頃いま〕私には言葉に云へぬほど気持ちがいい。」

昭和11年4月の日記にある言葉だが、「言葉に云へぬほど気持ちがいい」という堀辰雄の世界に少しでも近づきたいものだ。エル・グレコ『受胎告知』の世界へのあこがれと恐らく近いものがあるだろう。

音楽に於いては特にブラームスのアルトラプソディを中島先生は取り上げられ、その曲がゲーテは「冬のハルツに旅す」の断章に付けられたもので、先生は録音テープを持参なさってラジカセで我々に聴かせてくれた。

   昭和15年1月1日一橋新聞寄稿の抜粋

「私は病床にあって、この僅か十一節よりなる詩を讀了するのに殆ど半日を費やしてしまった。しかし、けふはこの日頃になくいかにも赫かしい、充實したやうな日のやうにおもへる。もう一度、ブラアムスのアルトラプソディを聴きたいのも我慢しなければならないほど疲れてゐるが、それすら生の充足からくる疲れのやうに心愉しいものがある」
      
「生の充足からくる疲れのやうに心愉しいもの」という心性をどう受け止めるか。


     「生の充足」の構図、より抜粋

「堀は『アルトラプソディ』から出発し、この一文を書くことで、自分自身を再発見したのだ。曲を聴かなくても、もうすでにブラームスの曲は肉化され、「生の充足」をもたらす意味合いの中に、言わば「生の充足」の構図の中に、組み込まれていたのである。堀は折に触れ、こうした美術や音楽を自己の芸術論理の中に取り込むことで、自分を支えようとした。その構図がはっきり出ていることでも、この短い小品、目がはなせないのである」
   「生の充足」の構図ーゲーテブラームス堀辰雄
           中島国彦

中島先生は「構図」という表現を講演会でもキーワードとしてお使いになった。堀辰雄の世界の全体構成を把握なさりたいという意図であろう。その構成に西欧文学はもちろん、音楽や美術は屋台骨となる。そしてその土台は自分の運命ー命との純粋な対話であり、優しさであろう。


風立ちぬ』は昭和13年に発刊されている。また堀辰雄36歳の年であるが前年愛弟子の立原道造が24歳で死去している。

中島先生は『大和路信濃路」に関連して堀が奈良の北に位置するという黒神山ー古代の墓地ーを地図を片手に探しながら道に迷ったエピソードを教えてくださいました。そのエピソードによると、堀は道に迷ってよかったと書いている。そう、見知らぬ土地で迷うのは不安であるが実は楽しいのである。つまり、先生の講演に於ける「あこがれ」を感じ満たすのが「あこがれ」に至るまでの迷いであり努力なのだ。堀辰雄ほどその迷いに純粋に向かい「あこがれ」を純粋に作品化できた作家はそうはいない。

中島国彦先生は温厚篤実な語りで我々を堀辰雄の世界にいざなってくれた。

講演内容に関係する多数の古書や録音テープなどもご提示下さり、先生の堀辰雄への愛情を深く感じさせてくれる90分であった。先生も学生時代にこの地に宿泊し安曇野までも行かれたと言う。もちろん碌山美術館目当て。

静かな語り口に時折ユーモアも交ぜて楽しい時間を過ごさせて頂いた。

そうそう、終わりに質問の時間が与えられた。
30人ほどの参加者から結構活発な質問やら意見がでていたが私は宿へ帰る時間が迫っていたので退席したが、その中で

堀辰雄の古典教養と彼の小説の文体への私の感覚ではとても近いように思えるのですが・・・特に和歌の世界の純粋性、透明感は堀辰雄の小説の文体に近いと思います」

確かこのような趣旨だったか、清楚なご婦人のご意見があった。
なるほど文体についてのお話はなかったが、面白い角度からの視点だったと思う。堀は実は古代万葉を背景に小説を創作したかった。しかし師、折口信夫の『死者の書』に感動した分、自分の力及ばずと諦めて平安に材を求めたのだった。その堀の古典ものではもちろん和歌が核となる。堀の古典教養は折口の薫陶でさらに深化した。その教養とは知識としてではない。自分の「あこがれ」をもつ古典なのである。五七五七七で織りなす和歌は就中平安文学の珠玉であり、言葉交感の最高度の純度を持つ。したがって堀辰雄のような資質はおそらく王朝和歌の作者の心理の襞まで感じ取りおのが感性ともしたであろう。

後ろ髪を引かれる思いで公民館を後にした。



終わりに再び上掲の立原道造の詩の最後の聯を載せる。


 VII  旅のをはり

昨夜 月の出を見たあの月が
昼間の月になつて 朝の空に浮んでゐる
鮮やかな群青は空にながれ
それが散つては白い雲に またあの月になつたと
幾たびかふりかへり見 幾たびかふりかへり見
旅人は 空を仰いで のこして来た者に尽きない恨みを思つてゐる
限りないかなしい嘘を感じてゐる


22日快晴
オーナーの送りで牧場停留所へ。そこからバスで軽井沢駅に着き、タクシーで「石の教会」へ。


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タクシー代、今回やたらかかって胸も懐も痛むが、その教会は内村鑑三記念堂と呼び、「自然の中にこそ誓いの場があると説いた明治期のキリスト教者・内村鑑三の「無教会思想」と建築家・ケンドリック・ケロッグの「オーガニック建築」が融合した、世界でも希少な建築。堂内には清らかな水音が響き、光と緑が生み出す自然の息吹に圧倒される。祭壇も十字架もない空間」と紹介されているので関心を持った。

全く独創的な石造りの教会。

無教会主義なら教会は矛盾?
https://www.stonechurch.jp/
内部撮影禁止と張り紙・・・しかし私は内村鑑三ならそうは言わないし許すと確信しているので目を光らせるシスターには内緒でパチリとやった。

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2泊3日、7月の安曇野白馬旅行以来の旅であった。