pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

晩秋の雨の佳き日の昼寝かな


『平安の春』角田文衛 講談社学術文庫  再読。


その中の記述で、一つ気になった点がある。

治承四年十一月一〇日(一一八〇)源野頼朝が武蔵国丸子庄を平清重に与え、彼の鎌倉の屋敷に泊まった時の話がある。清重は妻を寝所に差し出したというが、この件で筆者は武家社会で女性の人格が低く見られていた証拠とする。
しかし、ここはどうであろう。平安宮廷に於ける性の際限なき放縦ぶりは事実であって、代表格は白河法皇であろう。自分の愛人を息子の妻にしようとし失敗し孫に与え、しかも最後まで性的関係を持ち続けた話は有名だが、他にも手当たり次第であった。見境ない。権力の頂点に立つものがこうなのだから、下は推して知るべし。王朝崩壊は当然であった。

従って、頼朝と清重の逸話で女性の人格云々は即断に過ぎる。また、これは太平洋戦争前の頃までだったか記憶が不確かだが、旅人を泊めた主が妻を夜伽に差し出していた話も伝わっている。

女性の人格は敗戦後ようやく憲法によって男性と同格として認められたのであると理解しているがいかがなものか。その女性の人格はしかし果たして現実的に対等となったか。
もちろん否。否という証拠はいくらでもある。加えて女性自身の人権問題意識の薄弱さは国民主権への国民の意識薄弱とともに倍化され、女性はいまだ貶められている。カネや肩書に飛びつく女性は普通に存在しているが、それじゃそもそも人格も人権もあったものではない。男性また然りで、この国が21世紀になって猶更凋落していくのは必然なのだろう。

『平安の春』の内容はそのほかの部分は全て勉強になった。女官女房の位階や手当など現在も審らかではないそうであるが、大まかな輪郭は描けた。


涙のみかきもやられず目の前の昔語りになりと思へば
      
           『下野集』

この下野は四条宮に仕えた女房で、歌は「夢のように過ごした皇后・寛子の後宮生活」への感慨であった。折しも摂関政治から院政へと移り変わっていく。従って、歌の「涙」は過ぎ去った美しい追憶の涙であるとともに激動の社会に流されていかざるを得ない自分たちの運命への「涙」とも思える。さすが当代きっての歌人の誉れある下野の歌であると思う。万感のあふれる思いが一首に込められているのだと思う。因みに筆者は紫式部清少納言を対比し、清少納言の一途な潔さを称えている。

「辺鄙な新開町に在ってすら、時勢に伴う盛衰の変は免れないのであった。―人の一生に於いてをや」『濹東綺譚』

荷風の時代も現代もそれは変わりない。


もう一首、

忘れじの行く末までは難ければけふを限りの命ともがな

                 高階貴子
彼女の覚悟の愛は見事である。もちろん、あちこち媚びをうりまくり放縦な性に現を抜かす女性もいた。これも現代と変わらぬ。

『平安の春』は王朝文学の香を実感的に伝えてくれる、嬉しい、有難い名著だ。


YouTubeで音楽動画視聴。

午前中は晴れ間も見えたが午後から雨が降ってきた。
その割に気温下がらず。
窓から柿の葉の残っているのが見える。
雨にぬれても美しい。
ソファーに横になって午睡した。

地域猫のチビはすっかり我が家に懐いたが屋内には入れられない。かわいそうだが、屋内には3匹いる。チビ含めいずれも保護活動家経由である。先住のモン太郎はチビを相手する優しさと威厳がある。ハチはチビが苦手。ミーは老齢となり寝言を言いながら一日の大半は寝て過ごしている。