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枇杷の花冬木のなかににほへるを
この世のものと今こそは見め
斎藤茂吉
狭い我が家の庭も剪定や落ち葉拾いなどと仕事を呉れる。
実はそんな仕事は無心となるので好みでもある。
今日は枇杷の花のかすかな匂いをもらった。
何とも言えない優しい甘さ。
極上の香水も及ばない楚々たる香りは、それをまとう者がいれば羽衣の天女となろう。
その匂いを詠んだ歌は検索をかけても殆どない。花や常緑の葉を詠んだものが少々。
俳句ではまずない。
上掲の斎藤茂吉の歌で、匂ふ、は、かがやく、映える、と読めるが、匂いとして読んでも叱られないかな。
「この世のものと今こそは見め」
昭和26年の最晩年、おそらく認知症も進行していた時期に詠んだ。死を自覚しての歌であろう。
非常に困難な自己を持て余し、婿入り苦労も並みではなく、妻は茂吉を嫌いダンスホール事件に名を連ねるトンでも女であり、よくも狂わずに済んだものだ。さすが精神科医である。因みに、茂吉52歳ふさ子25歳という年齢差など眼中になく、秘密の恋愛を重ねた茂吉の気持ちもわかろうというものです。
「ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理してはいけないと思います。玉を大切にするやうにしたいのです。ふさ子さん。なぜそんなにいいのですか。」
まあ秘密の手紙であり、正直に書いた茂吉でした。手紙など残すものではない。が、50をとっくに過ぎた男が書く内容かといえば、そうなのです。
もちろん彼女は美しく聡明な女性だった上に歌を愛しました。写真からはそんな彼女の優しさも匂い立ちます。彼女は婚約を解消し独身を通しました。
茂吉にとってはふさ子との恋愛はおそらく一生の宝であったでしょう。
梅の花うすくれなゐにひろがりし
その中心(なかど)にてもの榮ゆるらし
茂吉の遺作と言われている歌。
認知症などととても言えない詠みっぷり。
艶めかしい歌でした。
そうそう、私の好きな堀辰雄が、師芥川竜之介の死に際し、斎藤茂吉が出した追悼歌をエッセイに遺してくれました。
壁に來て草かげろふはすがり居り透すきとほりたる羽はねのかなしさ
凄みが半端ではありません。
話が逸れました。
拙句拙歌で恐縮の限りですが、詠まずには居れません。下手の横好き、ご憫笑ください。