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「世上乱逆追討雖満耳不注之 紅旗征戎非吾事」
藤原定家『明月記』
堀田善衛の『定家明月記私抄』からの引用だが、この本は畢竟この一文に尽きるし、この文を広めてくれた功績は大きい。
(訓読)
世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾が事に非ず。
(意味)
大義名分をもった戦争であろうと(所詮野蛮なことで、芸術を職業とする身の)自分には関係のないことである。
また、定家のこの呟き(日記文であるから)は平安期に大いに国風を刺激した白楽天詩の次の一節から生まれた。
劉十九 同じく宿す 白楽天
紅旗 賊を破るは 吾が事に非ず,
黄紙の除書に 我が名 無し。
唯だ 嵩陽の 劉處士と共に,
棋を圍み 酒を賭けて 天明に到る。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/rs368.htm
「黄紙の除書に我が名無し」つまり自分の名は叙任の書に記されてなかったという無念は定家に通ずるのだが、また安禄山の乱に翻弄されたように定家も平安末期からの大動乱の時代を生き抜いた。白居易の動静がどこまで日本に伝わっていたかわからぬが、定家も彼の置かれていた時代的苦境を理解していたであろうことは分かる。分かるというのも推量であるが。
従って、私はこの「紅旗征戎吾ガ事二非ズ」と定家がつぶやいたことを以て、「自分の拘わることではない」と政事を無視し、近代以降の者が言う「芸術至上主義」という人生を送ったのではない。むしろ、「我ガ事」の対比としての政事への強烈な思いがあったればこそ「紅旗征戎吾ガ事二非ズ」と日記に記したのではないのか。政争に無力だった定家のつぶやきと私は見る。
近代以降、例えば正岡子規が古今新古今和歌を激越粗暴な言葉で罵倒し万葉に帰れと叫んだが、王政復古が全くの虚妄茶番であったように、万葉の時代に帰れるわけがない、言葉のレトリックだった。もちろん正岡子規が攻撃したのは宮内庁御歌所だったという話もあるが、いかんせん、古今新古今すべて葬ろうとした姿勢は写生俳句を主導した者としては分かるが、余りに政治的で、追従したマスコミに担がれた挙句に「俳壇」「歌壇」という独特の利権団体を生んでしまったことは子規にとっては痛恨事であろう。もちろん、現代でも学校やマスコミ出版業界はそんな見方はなく、ヨイショ一辺倒である。カネ目当てのみ。
春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空
藤原定家 新古今和歌集
高校で初めてこの歌に出会って以来忘れられぬ歌である。まったくもって極美というしかないこの歌をどう読み取り感じ取るか・・・
以前、三夕の歌を見たときも近代以降の「大家」批評のでたらめぶりに唖然とした。
和歌の歴史が辿り着いた頂点の一首である。西行が若き定家に自歌選定を任せたのも頷けるものだ。
写真、人間のことなど我ガ事二非ズニャーん(^^♪と昼寝に勤しむモン太郎。