2019-01-01 嫌われPakinの元旦の毒舌 2017年度の十代の自殺者数 「学種別でみると、▽小学生 11人(男6人、女5人)▽中学生 108人(男69人、女39人)▽高校生 238人(男166人、女72人)▽大学生 356人(男265人、女91人)▽専修学校生等 104人(男71人、女33人)。 教員の自殺者数は103人(男78人、女25人)だった」 私が学生の頃は小学生が自殺するというのは教育心理学には無かった。あり得ないと考えられていた。ところが近年とみに増加している。また、十代の大学生の自殺者数も多い。 また教員の自殺者数にも留意すべきであろう。 原因は何だ、ああだこうだと調べるのは良いが、学校のせいだ家庭のせいだと、ひどいのは本人の資質だと「識者」はのたまう。 統計的数字である事も留意すべきであろう。救急車で運ばれている間生きていれば自殺者数に含まれぬ。また、自殺である事を遺族が隠す事も多い。とすれば、実数は何倍にもなる。 「自殺は個別的脆弱性による」 被告東電側の反対陳述の一文であるが、見事なほどこの国の腐敗仕切った姿を象徴する。だから、毎年子どもらが自殺しても何ら変わることはない。 結論すれば、学校そのものを根本的に変える努力が必要なのだが、一切それは無い。文科省から注意事項が紙のリレーが現場まで届き、恭しく校長が朗読して終わる。 教員の自殺者数にも留意すべきとはそういう事だ。 どう考えても異常ではないか。 子どもと教員が自殺する学校とは一体何なのか。 馬鹿げたのを通り越す惨状だが、為政者は学費無料で間抜けな有権者を釣ろうとするが、そんな惨状を持つ「学校」を変える努力をする姿勢は微塵も感じられ無い。 世上、相変わらず「偏差値」オンリーが子どもを食い物にする受験産業によって喧伝され、我が子への教育観念の欠片もない親が子どもを提供する。一方、他の偏差値競争から脱落した、あるいは始めから埒外の子どもらは無気力と不信を増幅させながら中学高校に至ればお遊び天国となる。その後はブラック企業に流れる者が大半だろう。 そのどちらにも救いはない。偏差値競争は子どもの人格さえ根本から歪めていく。典型は医師や官僚たちであろうか。もちろん少数の例外的存在は認める。埒外の子どもらは言うに及ばず。無明とあくどい商売の食い物になる。 元旦である。殆どの家庭ではテレビで時間を消費するだろう。我が家でもテレビが存在していた時は同じ状況だった。仕事で疲れ果てた年末を何も考える必要のないテレビで過ごす。 ここネットの世界でも現役世代の方も大勢いらっしゃるし、そうでない方々にはお孫さんをお持ちの方々もまた大勢いらっしゃる。 だから、全くの不興を買うのは百も承知。こんな大晦日の日記で申し訳無いと思うが、敢えて出す。 子ども達を苦しめ果てさせ、あまつさえ自殺に追い込んでいながら根本的に対応できぬ社会に明日は無い。 我が子は大丈夫?アホですが、それが日本社会です。人の子は死んでも平気だといられるのを鬼畜と呼びます。直接手を下さずとも同じなのです。 じゃあ、どうすれば良い?と、よく突っ込まれますが、人に聞く前に自分の頭で考えましょう。 十代の自殺者数で見れば今日もまたどこかで子どもが自殺しています。 全くPakinはたちが悪い!自覚してます。