pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

カミュ『ペスト』メモ6 大杉栄


P248
記者のランベールからの問いかけ。

「もう確かに僕はこの町の人間です、自分でそれを望もうと望むまいと。この事件はわれわれみんなに関係のある事なんです」
「それにあなたがただって、それはよくご存じなんだ。さもなきゃ、なにをなさろうというんです、あの病院で?いったい選んだんですか、あなたがたは?そうして幸福を断念なさったんですか?」

P249
「自分の愛するものから離れさせるなんて値打ちのあるものは、この世になんにもありゃしない。しかもそれでいて、僕もやっぱりそこから離れているんだ、なぜという理由もわからずに」
                   リウー

ランベールの「いったい選んだんですか」という問いは重い。ゆえに「なぜという理由もわからずに」と答えるのが精いっぱいだった疲れ果てていたリウー。
選択ということは自覚的責任をともなう。知る、理解する、と同様にそれは責任を自覚させる。責任を自覚しない「知る」などおよそ無意味であるということだ。ペストという悪を知った以上は。ヒトラー全体主義を知ったカミュには。

 

『生の拡充』大杉栄

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われわれの生の執念深い要請を満足させる、唯一のもっとも有効なる活動として、まずかの征服の事実に対する反逆が現れた。またかの征服の事実から生ずる、そしてわれわれの生の拡充を障礙する、いっさいの事物に対する破壊が現れた。
 そして生の拡充の中に生の至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊との中にのみ、今日生の至上の美を見る。征服の事実がその頂上に達した今日においては、階調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。階調は偽りである。真はただ乱調にある。
 今や生の拡充はただ反逆によってのみ達せられる。新生活の創造、新社会の創造はただ反逆によるのみである。


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「美はただ乱調にある。階調は偽りである。真はただ乱調にある」

この言葉の文脈上の意味は旧来の奴隷的人間社会からの革命を目指した大杉の美意識でもある。諧調を否定し乱調を求めたわけだが、これは現代美術(私は間違っても村上隆などの低俗漫画レベルは想定しない)への美術史そのものであろう。
また大杉は以下の「僕は精神が好きだ」に次のように述べる。


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「僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されるとたいがいはいやになる。

理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。
この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義人道主義が好きだ。
少なくともかわいい。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。

社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々いやになる。
僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。


思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。

          1918年2月「文明批評」

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「精神そのままの爆発だ」岡本太郎ですね^^。

また、こうして大杉を見るとまさにカミュの戦った不条理への戦いの先駆者であったわけです。


1923年9月に甘粕大尉らに伊藤野枝や甥の橘宗一(6歳)とともに惨殺された。甘粕が黙秘を貫いたために真の黒幕はだれかとか事件自体が曖昧であるが、狂信主義者による殺害であることは間違いない。趣味人にも似たような御仁が徒党を組んでいらっしゃるが。


大杉栄に対し
“Foremost Japanese anarchist of the Taishō period and prominent leftist leader”
ドナルド・キーンが指摘しています。

 

 

また、カミュの仲間が増えました^_^